亀井静香、石原慎太郎らが「賊軍」合祀を申し入れ高が知れてる目先のカネに目が眩み国益や国柄を損うことがあってはならない

2016年10月14日

民主主義こそ我が国を崩壊に導いた元凶でもある

「民主主義」というのは今では当たり前だと思ってるが、愚生は余り好きではない。別に右翼だからという訳ではなく、民主主義の誤った人間平等主義や基本的人権の乱用に腹が立つ。

 確かに、右翼の使命とは日本の純粋性を曇らすもの、つまりは「共産主義」であろうが、「資本主義」であろうが、「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義・思想に断固として対峙することである。

 戦前の右翼というのは「国士」と呼ばれ、国粋主義的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えだったが、今や右翼も御多分に洩れず資本主義や民主主義に溺れてる現状は、「右翼」などと蔑視されて当然と言えなくもない。まぁ愚生は右翼で結構だが(笑)

 民主主義では何事も民主的な手法で解決しようとするが、多数決で決めたことにも「少数派にも配慮しろ」と騒ぎ立てる。こうした御都合主義の民主主義こそ、我が国を崩壊に導いた元凶と思っている一人でもある。

 何故なら人というのは平等ではないし、平均的意見とはマスコミが創り上げた価値観に過ぎないからだ。言い方を変えれば、民主主義とは皆が平等にバカになること。違う意見は抹殺し、同じ価値観になれということであるなら共産主義と大して変わらない。

 そのくせ、口を開けばキレイゴトを並べ「人材育成」などを訴える。民主主義的平等のバカを創り上げるのに人材育成とはもう嗤うしかない。

 昔から、こういう諺がある。

「一年で育てようと思うなら花を育てるべし。十年で育てようと思うなら木を育てるべし。百年かけて育てようと思うなら人を育てるべし」

「人材育成」というのはインスタントに出来るものではない。その為には普段から、学校は勿論、家庭でも地域でも若者を育もうという意識がなければダメ。

 国士舘の指導理念に「読書」「体験」「反省」「思索」というのがある。

 本というのは実践してみること、読書によって得たもの、覚えたものをひけらかさずに惜しみなく与えることが大事で、教えることで自分の確固たるものとして身に付いてくるものでもある。

 先生が生徒から教えられる、若い夫婦が子供と共に成長していくことと同じこと。「教えるとは実に教えられることである」とは蓋し正論である。

 花を育てたり、木を育てるにしても、温室で育った野菜や果物というのは、見かけだけで味に深みはない。育てる段階で肥料を与えたり、自然の風雪に耐えてこそ味に深みが出るというものだろう。

 人間だって同じ。甘やかすだけでは立派には育たない。たまには鉄拳も、厳しく突き放すことも必要であり、個性を磨くというのは本来そういうものなのだ。

 民主主義を穿き違え、人間平等観が蔓延っているのは何か物足りない。こんな世の中が続けば、同じ様な個性の無いハウス栽培の打たれ弱い日本人ばかりになってしまうのではなかろうか。

 教育は国家の大本。百年後を見据えて人材育成に取り組むべし。

cordial8317 at 10:53│Comments(0)

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