ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり公式文書でなく無効である徒然なるまゝにその日ぐらしシリーズ

2023年02月05日

夜空を見上げながら徒然なるまゝに(笑)

 愚生はどちらかというとあまり社交的ではない性格だと思う。昔はそれほどでもなかったのだが、歳をとった所為か最近は人と会うのも面倒臭い(笑)

 人として一番嫌いなのは調子の好いヤツ。あっちにもこっちにも好い顔と諂屈してる輩を見ると、愛想の好過ぎる犬みたい辟易する。右翼や最近流行の自称・愛国者には、あっちにコロコロ、こっちにコロコロとよく転がってるのが少なくない。

 最近は、有名な右翼人と知り合いになっただけで、然も自分も右翼になったと勘違いしてる輩があっちこっちで見かける。やっぱ、飼い主以外にはそっぽを向いてる犬の方が好きだ。そんな右翼や自称・愛国者の好きな言葉にこんなセリフがある。

 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。
この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、
そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。

 これは「西郷南洲翁遺訓」第三十ヶ条や山岡鉄舟語録からの引用だが、自分が然も幕末の志士になったかの如くこの言葉に陶酔する。大体、右翼なんぞに「官位」も「名誉」も関係ないだろうし、「金も要らない」という右翼はいないでしょ(笑)

「命もいらず」という割には終身保険に入って月々の積み立てに窮してたり、「名いらず」という割に自分を売るのに躍起で、月刊誌などに名前や写真が出たものならそれを買い漁り、「カネ」への執着は言うに及ばずというか尋常じゃない(笑)

「西郷南洲翁遺訓」や「山岡鉄舟語録」を実践してる右翼なんぞ会ったこともないし、本気でこんなことを想っている右翼人がいるなら是非会ってみたいものだ。

 高目ばかりを夢見て、「有名になりたい」「カネを儲けたい」輩ばかりで、「武士は相見互い」という精神も無ければ、「恭倹己を持す」恭しい右翼などいない。

 喩え、相手が艱難に遭遇していても避けるだろうし。況してや「国家の大業を成す」「天下の偉業」なんてのは政治家がやることで右翼がやることでもない。

「西郷南洲翁遺訓」第三十ヶ条は、この有名な「始末に困る・・・」の台詞の後に、「然れども斯くの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」と続く。

 要するに、「始末に困る者」というのは凡俗の眼には判別出来ないということで、人物を見極める目を持たなければならないと訓えている。見かけでしか判断出来ない凡俗の右翼人がそうした始末に困る様な人物に成れる訳がないのである(笑)

 「西郷南洲翁遺訓」では、第二十七ケ条が好い。

 過ちを改めるに、自ら過ったとさへ思ひ付かば、夫れにて善し。
其事をば棄てて顧みず、直に一歩踏出す可し。
過を悔しく思い、取繕はんと心配するは、
譬へば茶碗を割り、其の欠けらを集め、合せ見るも同じにて、詮もなきこと也。

「人間、完全ではないので必ず過ちを犯すものである。過ちを犯さない人間などというのはありえない。大切なことは、その過ちを次に繋げることであり、いつまでも悔やんでいたのでは、物事に伸張がなく、自分にとっても世の中にとっても何の意味も無いことである」という意味である。この教えにも我が国士舘の徳目である「反省」と「思索」があり、その上での実行・実践が何より大事であるということだ。

 まぁ、愚生も過ちばかりの右翼人生ではあるが、失敗で得ることの方が断然多かった。右翼の世界も御多分に洩れずなんちゃって浪漫派や自己陶酔型が多く、パフォーマンス好きで愛すべきキャラクター揃いで厭きることはなかったのも確かだ。まぁ、寒風の中で夜空を見上げながらそんな由無し事を徒然と考えてみた。呵呵。

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cordial8317 at 06:03│Comments(0)

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