「天長節」の佳き日に当り「日本国」に誇りと勇気を持って更なる躍進を誓う時代が運命を見放した戦国武将・伊達政宗の処世術に学ぶ

2023年02月24日

「アラビア太郎」こと「山下太郎」を知ってるだろうか

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 百田尚樹の歴史経済小説で映画にもなった「海賊とよばれた男」の主人公である国岡鐡造は、出光興産創業者の出光佐三がモデルである。その「出光興産」を知っていても「アラビア石油」という名前を知ってる人は少ないだろう。況してや、山下太郎(画像)こと「アラビア太郎」という名前さえ知らない人が殆どだろう。

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 アラビア石油は、「アラビア太郎」こと山下太郎が、昭和58(1983)に設立した石油会社で、別名「日の丸石油」と呼ばれた。社旗は日の丸にアルファベットの「A」。日本の自主開発油田で、我が国の石油の安定供給に貢献したのである。

 昭和48(1973)年10月、第4次中東戦争(十月戦争)が勃発し、石油輸出国機構(OPEC)が石油価格を大幅に引き上げたことに因って、世界経済全体が大きな混乱を招くこととなり、「第1次石油危機(オイルショック)」が起きる。

 山下は、日本の石油危機を救うには「日本人の手で、アラビアの地で石油を掘るのが得策だ」としてアラビア石油を創設。巨額の資金工面や現地での困難や危機を乗り切り、漸く油田を掘り当てる。その吉報の一方で大きな災難が襲った。1号井戸を掘ってた際にガス層に突き当たってガスが噴出し引火、忽ち猛火が母艦を包んだ。

 石油が日本へ送られる寸前の出来事だった。山下は刻々と入る悲報を前に「火事は災難だが、これで石油の出ることがはっきりした。火災は問題ではない。まぁ、大学入試に合格した途端、ちょいと風邪をひいた様なものさ。油は出る。必ず出る!」と平然と言い切った。然し、大事故はそれで終わった訳ではなかった。

 更なる試練が山下に襲い掛かるこになる。掘削時の火事、そしてタンカーに続いて開発作業に従事していた150トンの大型クレーンが倒れてしまう。そんなこともあり資金は底を突く。当時50億円の資本金を100億円に倍増増資しても足りなかった。

 普通の人ならここで退散だろうが、その度胸と禍を転じて福と成す信念が尋常ではない山下は違った。火災事故から5か月後、待望の石油を掘り当て我が国のエネルギー危機を救った。「アラビア太郎」と言われる所以でもある。

 大きな事業になればなるほど、大きな困難や試練が待ち構えているものだ。それを押し退ける精神力が大事。「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難を逃がるる妙法にて候」とは良寛和尚だが、山下もこの心境で万事に臨んだからこそ成功を導いたと言って好いだろう。

 昭和54(1979)年には第2次オイルショックが起き、石油消費国はインフレ、景気後退、国際収支赤字の三重苦(トリレンマ)に悩まされる。我が国ではこうした経験から、石油に頼らない原子力発電の開発を推進することとなって行く。

 福島第一原発事故以来、我が国の電力の90%が火力発電によって賄われていが、原発依存から脱却し、化石燃料への依存度が高い儘で推移した場合に様々な弊害が出て来ることは火を見るより明らか。反原発派に山下太郎やの様な日本の危機を救う為に、莫大な投資をして新エネルギー開発に命を賭ける様な人物などいない。

 山下太郎にしろ、出光佐三にしろ、昔の企業家というのは営利よりも先ず祖国日本の将来や国民の幸福を第一に考えた。企業人とは社稷を重んじることこそ大事であるが、悲しい哉、我が国の経済界は正に、財閥富を誇れども社稷を想う心なし!

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cordial8317 at 05:31│Comments(0)

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