先人の気概に倣い祖国日本の独立と再建を果たさなければならない女子テニスプレーヤー大阪なおみ選手の「鬱病」告白に思う(笑)

2021年06月01日

我が国の貧困問題は経済的な問題よりも精神的貧困の方が深刻である

 最近は弱者を標榜して「貧困」や「差別」「人権」を主張さえすれば、然も当然かの様に主張する輩が目立つ。それを政局に利用しようと立憲民主党や共産党が便乗しマスコミが煽る。我が国の精神的貧困さの現れとしか思えない。

 朝鮮学校の無償化訴訟で元高校生側の敗訴が決定する一方で、先般、川崎で開催された音楽イベントに参加した在日の高校生が、SNSで「〇〇ヒトモドキ」などと揶揄されたとして匿名者を割り出して賠償金を請求し認められた。

 自民党前ではLGBTのグループが自民党の簗和生代議士の「生物学上、LGBTは種の保存に背くもの」との発言に噛付いて「差別だ」「人権が」と大騒ぎ。

「性的マイノリティ」を隠さない社会を目指せと言うが、差別や人権を主張する前に立ち止まって自分の置かれてる立場を冷静に見つめることも必要なのではないか。

 マイノリティとは少数派であり、少数派の意見を認めることこそ真の民主主義であるかの様な主張こそ本末転倒と言う他は無い。現代の怪しげな雰囲気に便乗して弱者や貧困を訴えさえすれば「保護されるのは当たり前」的な風潮は如何なものか。

 中国武漢ウイルス研究所に端を発した新型コロナの影響もあって、恥も外聞も無くここぞとばかりに生活の困窮を訴えては安易に生活保護という血税に集る。

 貧困を理由に生活保護を受給しているが、生活保護は近親者の援助も受けられず何らかの事情で働くことが出来ない人を扶助するシステムであって、働ける身体なのに生活費が足らないからと経済的困窮を理由に受給することは犯罪である。

 年金も同じく、老後に受給するというのは二の次で、働く現役世代が高齢者を扶助するシステムである。「年金はどうせ貰えないから」「長生きはしないから」との理由で年金支払いを拒否することは相互扶助の理解が足らない証拠である。

 年金の受給年齢の引き下げなどで誤魔化してるが、このままでは年金制度は崩壊するだろう。年金は支払った分を返還し、老後の生活は自己責任にするべきだ。現代日本人に足らないものは福沢諭吉が示した「国を支えて国に頼らず」の精神である。

 弱者というのは弱い立場だから弱者といのだろうが、その昔、作家の曽野綾子は、老人だから面倒見て貰えるのが当たり前だとか、住む場所が無いから救済してくれるのが当たり前という卑しい連中を「老人業」とか「難民業」と譬えた。

 最近はこうした「老人業」とか、原発事故を利用した「被災者業」に加えて「貧困業」が流行り、訳の分からぬLBGTが恥ずかしげも無く登場して「我々は優遇されるのが当り前だ」と言わんばかりに威張り、居直り、権利ばかりを主張する。

 因みに「当たり前」の反対語は「有り難い」であるというのを知ってるか。救済されるのが「当たり前」だと思ってる連中というのは、助けてやったところで当たり前ではない恩恵に「有り難い」とか「ありがとう」と感謝することは全く無い。

 我が国の貧困問題は経済的な問題よりも精神的貧困の方が深刻で、乞食根性丸出しで「優遇しろ」やら「カネをくれ」の大合唱は実に醜い。貧困や弱者を生業にしようとする連中に共通するのは国を支えようという気持ちなんぞ毛頭ないことだ。

 こうした連中から日本人の美徳である福沢諭吉翁が唱えた「痩せ我慢の気風」など微塵も感じることはなく、国民の模範であるべき政治家もまた党利党略・国民不在の政争を繰り返し、利権に集り、カネに群がる不逞の輩ばかりなり。

 こうした拝金主義の政治家らが、偉そうに経済論を語ったところで経済がまともに動くとは到底思えない。彼奴等の「経済戦略」とは名ばかりで、頭の中は単なるカネ儲けしかなく、鯔のつまり、カネの亡者である経済界の走狗というのが正しい。

 真の「保守」とは、祖国日本を信じ、我々日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣という世界の中で最も優れた我が国の精神文化を護り、継承して行くものでなくてはならないのだ。

 何より護るべきは皇統以外にはなく、天皇国日本が、異民族の支那人や朝鮮人を国内に抱え込むことによって多民族国家に変化し、混血によって日本民族の血が薄められ、それによって国柄が崩壊する様なことがあってはならない。

 こうした国家の根幹に係わる問題を、キチンと突き詰めた議論もしないまま、安っぽいムードだけでやれ「親善」だとか、やれ「グローバル時代の到来」だとか、「世界ではこうだ」とか「差別」だとか「人権」が実に曖昧な次元で語られる。

「人口が減れば労働力が減り国力も低下する」などとは営利至上主義に狂奔する経済団体の口実に過ぎず、喩え1億人を切ろうが、7000万人ほどになり、経済が停滞しようが、多民族を殖やして国柄が破壊されるより結構なことではないか。

 世界広しと雖も、美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は、我が国を措いて他はない。世界中が嘘八百並べても我が国だけは絶対にしない覚悟こそ必要。

 その覚悟に由って経済成長が鈍たとしても別に好いではないか。絶対に世界の真似をしないという、そういう自信や誇りというものを失ってはならないのだ。

 そういう意味では孤高の日本で好いのである。国防論より目先の経済戦略や経済成長を優先する余り、我が国體を壊すことを絶対に赦してはならない。そういう意味では将来的に攘夷や鎖国という選択肢もあって好いのだと思う。

 二宮尊徳は「経済無き道徳は戯言であり道徳無き経済は犯罪である」と諭したが、国防という国家の大本を忘れ去り。米国の価値観の押し付けと並行する魂無き繁栄に現を抜かしている今の日本人には道徳感覚を涵養することこそ大事であろう。

 愚生も自ら招いた悪因悪果で極貧に喘いではいるが、それも自業自得なのである。せめて国や自治体の世話にだけはなるまいとの意地だけ捨てない。呵呵。

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cordial8317 at 08:12│Comments(0)

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