領土とは国家そのものであり、その国家なくして国民の生命・財産の存在する根拠が失われる民草として畏れ多いことではあるが「生前退位」に物申す

2016年08月09日

「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない」

 中共海警局の公船が尖閣諸島の領海に二日連続で侵入。公海の数は15隻に殖え、周辺では中国漁船約300隻が恫喝的な航行を続けている。

 何故に今、尖閣諸島なのか。要は、こうした動きは南シナ海での人工島建設などの中共の主張がオランダハーグの仲裁裁判所で「法的根拠はない」との判決を受け、国際的世論の沈静化と目眩しに東シナ海にシフトした様に見せかけているだけに過ぎない。

 支那には古より「声東撃西(せいとうげきせい)」(兵法三十六計第六計)という戦略がある。

 「東に声して西を撃つ」の意味で、要は、東で声を発してそちらにいると見せかけ、実際は西を撃つ戦術。敵に対しては弱小のように見せかけて誘い出し、堅強な兵で迎え撃つ。西に領土を広げようとするなら、先ずは東に進むというのが支那戦史の鉄則である。

 こうした行動は中共得意のパフォーマンスだが、こういう確信犯に「遺憾の意」を表したところで意味はなく、海上保安庁を引き上げさせ、海上自衛隊による領土防衛を図らねばならない。

 中共の目的はあくまでも南シナ海であり、尖閣諸島に目を向けさせて、南シナ海の要塞基地は着々と整備されて行くだろう。

 南シナ海が中共に占有されれば、我が国にとっての最重要なシーレーンの封鎖も容易になり、尖閣や沖縄よりも我が国自体が中共に無血開城の如く併呑されてしまう危機を孕んでいるのだ。

 以前、安倍総理は、所謂「セキュリティダイヤモンド構想」を訴えた際に、「南シナ海は北京の湖となって行くかの様に見える。アナリスト達が、オホーツク海がソ連の内海となったと同じく南シナ海も中国の内海となるだろうと言う様に」と南シナ海の現状を嘆いた。

 更には「南シナ海は、核弾頭搭載ミサイルを発射可能な中国海軍の原潜が基地とするに十分な深さがあり、隣国を恐れさせるに十分である」と危惧したが、それが今や現実のものとなってしまっている。

 こうした認識の上に立てば、東シナ海や南シナ海での中共の覇権主義に我が国が屈してはならない最大の理由が其処に在る。

 また、斉の威王が軍師・孫臏の献策により、魏が趙を攻撃している最中に魏の都を急襲して趙を救ったという故事、「囲魏救趙(いぎきゅうちょう)」(兵法三十六計第二計)という戦略もある。

 敵を集中させるよう仕向けるよりも、敵を分散させるよう仕向けるのが良いとされ、敵の正面に攻撃を加えるよりも、敵の隠している弱点を攻撃する策をよく使う。つまり、中共からすれば、我が国にとっての弱点は尖閣諸島なのだ。

 敵を一箇所に集中させず、奔走させて疲れさせてから撃破する戦術で、支那の戦史にはこうした戦略、謀略が実に多い。

 尖閣諸島でのデモンストレーションを見ると、中共の真の狙いは尖閣ではなくて南シナ海であり、西沙諸島と見せかけて南沙諸島の完全制圧だろう。

 余談だが、1941(昭和16)年12月10日、マレー半島クァンタンの沖合いで、 英国が誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって撃沈され、チャーチルはこう振り返った。

 「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない」

 ある意味嗤える話しではあるが、昭和16年12月10日といえば真珠湾攻撃から二日後のこと。つまり、我が国が正しく外交を行っていれば大東亜戦争は回避出来たかも知れないということだ。

 我が国をナメきってる中共と外交交渉を図る上で大事なことは、我が国の自衛隊の戦闘能力の高さを教えてやることだ。

 「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない」とはもう言わせてはならない。

cordial8317 at 05:04│Comments(0)

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領土とは国家そのものであり、その国家なくして国民の生命・財産の存在する根拠が失われる民草として畏れ多いことではあるが「生前退位」に物申す