自己放棄に達しない思想は卑しい思想であり、思想を維持する精神は狂気でなくてはならない将棋では駒を「動かす」とは言わずに「効かす」とか「働かす」と言う

2023年01月24日

人間関係に於ては好き嫌いというのは意外と重要なの要素でもある(笑)

 愚生は、食べ物の好き嫌いは無いが人の好き嫌いは激しい方かも知れない。喩えば、時間にルーズなヤツとか、箸使いが下手で箸置きがあるのに使わないで器に載せるヤツとか、食べ方が汚いヤツとか食べ物の好き嫌いの多いヤツとか周りにいると、そんな些細なことが気になって会話も上の空で、その先に進めない(笑)

 そういう意味では、酒席というのは相手の好みも分かるし、醸し出す雰囲気や互いの相性など、人間観察にはベストだ。食べ物の好き嫌いの多いのは、仕事も好き嫌いするので長続きしない。時間にルーズなのは覚醒剤や薬物中毒の疑いがある。

 食べ物の好き嫌いが多いのは幼少の頃の経験が多く、箸使いもそうだが、それを許されたというのは、親が大らかというか、優しく見守ってくれてのだろう(笑)

 国士舘時代は何でも「押忍」。組織にいた頃でも、先輩に好き嫌いをいうものならその嫌いなものを執拗に出される。要は、押忍の精神とは我慢であり、苦手を克服し身になって行くものなのだが、食べ物の好き嫌いの多い奴はその我慢に乏しい。

 人間関係に於てはこの好き嫌いというのは意外と重要で、此方が苦手と思っている相手も同じ様に苦手だと感じているだろう。以心伝心とは実に哲学的だ(笑)

 人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っている。だから、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりするものだろう。

 理論的な間違いは指摘出来ても、相手側が此方に「敬」を抱くことがなければ、喩えそれが正論であり、また相手を慮っての意見と雖も相手に通ずることはない。

 要は、人というのは「好きか嫌いか」か、それに尽きる。嫌われてるのに幾ら熱く語ったところで、そんな相手に意見を受け容れさせ様などとは無理なこと。

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心とも言えるものであるが、その意見される相手側が、その違憲に耳を傾け、受け容れる気持ちが無ければ単なる「余計なお世話」でしかない。

 意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、此方を信用して受け容れる状態になってからでないと意味はないし、そういうことをしてからでないと意見というのは相手に通じることはない。

 食事したり、一献酒を酌み交わし乍ら相手に心を許し、自分の失敗談を話し、意見を言わなくても相手に悟らせる思い遣りが大事であり、本来、意見とは斯く在るべきである。こうした教えは「葉隠」に書いてある。葉隠は日本人必読の書である。

 綺麗なお姉ちゃんとの酒席でも箸使いが悪かったり、作法がイマイチだらしがなかったりすると、やっぱそこばっかり気になって会話どころじゃありません(笑)

 右翼が喩え、正論を吐いたところで通じないのは「好きか嫌いか」でいうなら、きっと世間から忌み嫌われているからに違いない。まぁ、斯くいう愚生も、熱く語っても相手に通じないことがある。要は、嫌われてるってことだわな。呵呵大笑。

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cordial8317 at 06:11│Comments(0)

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自己放棄に達しない思想は卑しい思想であり、思想を維持する精神は狂気でなくてはならない将棋では駒を「動かす」とは言わずに「効かす」とか「働かす」と言う