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2016年03月10日

「陸軍記念日」である3月10日という日を忘れてはならない!

 日露戦争開戦前、世界の軍事専門家の中で、我が国が当時世界最大の軍事大国ロシアに勝利すると予想した者は一人もいなかった。そんな中で、我が国は、明治37年2月10日、ロシアに対し敢然と宣戦布告した。

 1年半に及ぶその戦いは奇跡ともいえる勝利を収め、「日本」という国の存在がアジアのそして世界の希望の星となった。

 国民が決死の覚悟をもって開戦に踏み切った日露戦争の勝利は、結果として欧米列強に我国の地位を認めさせることとなり、幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行くこととなる。

 即ち、明治維新の真の目的であった「治外法権」と「関税自主権」という二つの不平等条約の改正が、この日露戦争の勝利によって実現されたのだった。

 二つの不平等条約の内の「治外法権」は、既に日清戦争後の明治32年に克服したていたが、「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し、我が国は真に独立を回復することが出来たのである。

 日露戦争の勝利は、世界の植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行く。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することによって、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだったのだ。

 明治38年(1905年)3月1日から、日露戦争最後の陸上戦「奉天会戦」が大山巌陸軍大将指揮の下行われ、同月10日、勝利を収めた。

 この成果を称え、翌年政府は3月10日を「陸軍記念日」として制定し、以後、国民挙って御祝いすることとなった。因みに「日本海海戦」で、バルッチック艦隊を撃破し、大勝利を収めた5月27日は「海軍記念日」である。

 昭和20年3月10日の「陸軍記念日」、国内では戦果芳しくない大東亜戦争の起死回生の戦いを祈念している日を敢えて選び、米国は本土攻撃を断行する。

 これが「東京大空襲」であるが、この爆撃によって多くの無辜の人々の尊い命が失われたのは誰もが知るところ。米軍による大空襲はこの日が最初で、日本の多くの家屋が木造だという理由から火炎の強い焼夷弾を投下した。

 米軍これに飽き足らず、4月14日及び5月25日にも空襲を断行した。5月25日の空襲では、その戦災は皇居にも及び、明治宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失うこととなった。

 宮殿が全焼という中で、昭和天皇は、御文庫を仮の御所とされ、昭和36年吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。

 戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先であるとの思し召しから、戦後も長きに亘って新宮殿の再建を御許しにならなかったという。

 3月10日の大空襲以降も陛下は、「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りになられることはなかった。

 先帝陛下の大御心の程を拝する逸話であろう。

 東京大空襲は、皇居への攻撃も然ることながら、広島、長崎への原爆投下と同様に一般人を犠牲にした蛮行であり断じて許されるものではない。

 マッカーサーの右腕の一人、ボナ・エラーズが、日本への空襲を「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言していることでも分かる様に、大空襲や原爆投下、ドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例と言えよう。

 東京裁判で連合軍は、その理由を「東京への爆撃は重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と語っているが、これこそが詭弁である。

 悲しいかな日本人の中にも未だ、こうした米国のプロバカンダを信じ、「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった自虐史観が散見されるが、いい加減、米国の洗脳から目覚めて欲しいものだ。

 戦後、GHQは日本人に対し、未来永劫、贖罪意識を植え付ける目的で、更には弱体化の為にあらゆる施策が謀られた。

 日本国憲法然り、教育制度然り。こうした米国の意図は予想以上に成果を上げ、今や日本は「同盟国」とは名ばかりの「米国のポチ」として忠誠・従属を誓い続けている。

 「陸軍記念日」であり、東京大空襲が始まった今日3月10日という日は、国民が「国防」という意味を理解し、米国依存体制からの脱却を図り、真の意味での主権回復を成すには何をすべきか考える一日でありたい。

cordial8317 at 05:28│Comments(0)

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