高市総務大臣は「放送法」に則って粛々と電波停止すべし!「憲法改正で戦後を終わらせよう」というタイトルを見て思わず仰け反った

2016年03月03日

連日報道される米国大統領選候補指名選挙に違和感

 先日、自民党の丸山参議院議員が「例えば、日本がですよ、アメリカの第51番目の州になるということについてですね、例えばですよ、憲法上どのような問題があるのかないのか・・・(略)まあ、世界の中の日本と言うけども、要するに日本州の出身がアメリカの大統領になる可能性が出てくるという事なんですよ」と述べた。

 我が国を51番目の州に準えて意味不明の自説を述べていたが、連日、トップ記事で報道される米国大統領選の候補指名選挙なんかを見せられてると、我が国を「51番目の州」という丸山の喩えは強ち間違いではないのではあるまいか(笑)

 日本人がアメリカ大統領になるという丸山の発言は飛躍し過ぎだが、報道を見てるといつの日か日本から候補指名選挙に出ることもあり得なくはないかも(笑)

 産経新聞は何故か「反トランプ」に必死で、今日の「主張」でも「『痛快だから』では済まぬ」との論説を載せ、止まらないトランプ現象を批判している。

 他所の国の大統領が誰がなろうがどうでも好いことだが、米国大統領選挙が一面に踊ってると日本の新聞ではなく、米国の新聞記事にしか見えない(笑)

 産経新聞というと保守論壇というイメージで、反中・反韓という耳障りの好い言葉で保守層を取り込んで営業しているが、どうみても親米保守派であり米国の国益に与している新聞社だ。こうした似非保守が日本の国益を害してる場合が多い。

「主張」の中で、トランプ人気をこう解説する。「政治経験のないトランプ氏の人気は、既成の政治への不満であり、大衆の本音をずばり口にするポピュリズムである」。既成政治への不満はその通りだろうが、ポピュリズムは別にトランプに限ったことではないし、政治経験の無い人物が政治家になるのも別段よくある話だ。

 橋下徹なんてのは政治経験なんぞ全く無い人物で、ポピュリズムの申し子の様な政治家だったし、我が国にポピュリズムを批判する資格があるとは思えない。

 我が国の多くの政治家は大衆に媚び、諂い、「国民の目線に立った政治を行う」と然も国民を慮った様な台詞を吐くが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創ることではない。「国民目線」とは国民の平均値のことを指すのだろうが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険なことだ。

 政治が国民目線に立つと国は滅ぶというのは世の常でもある。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低いからである。大衆の意見は時代に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。安倍人気にしても、国民の安っぽい保守ブームの風潮から支持されてるだけで、言い換えれば民衆のひと時の気紛れの結果でしかない。

 政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。経済も然り。

「国民の目線」とは、ワイドショーに煽られた平均的意見であり、マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、自分達の主張こそが「正義」であり、「真の民主主義」であるかの主張を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続けているのが現状だ。

 正に「民主主義」とは「衆愚政治」であるということを痛感するが、議員に当選するには大衆に媚び、大衆にニンジンをぶら下げなくてはならないのも確か。

「大衆の多くは無知で愚かである」とか、「熱狂する大衆のみが操縦可能である」と訓えたのはアドルフ・ヒトラーだが、そんな彼もまた既成の政治への不満を煽り、大衆の心理を擽ったポピュリズムを代表する政治家の一人には違いないだろう。

 米国民の心を揺さぶるトランプは米国版ヒトラーになるかも知れない。要は、歴史を見るまでもなく、大衆に選ばれるには、その大衆を熱狂させなければならないということで、分かり易く言えば、多くの有権者というのはバカだからに尽きる。

 そうした熱し易い大衆を上手く利用するのが効果的だということだ。本来、政治というものがきちんと機能していれば、大衆が政治に係わることなどないもので、大衆が政治に関心があるというのはそれだけ政治が機能していない裏返しでもある。

 三島由紀夫は、それを「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」と喩えている。

 それが然も自分が政治家になったつもりで、あ~だこ~だと嘆いている。 こういう大衆が現在の有権者であり、その一票一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しない。現在の政治家にバカが多いのは当然のことで、期待する方がバカだ。

 仮に動物の世界で喩えれば、数の多いのが当選するのは当たり前のこと。ブタとかネズミとか、要するに能力なんぞ二の次で数さえあれば当選する仕組みなのだ。本当に当選して貰いたい、百獣の王ライオンは、幾ら力があっても数が少ないから当選出来ない。トラやゾウやゴリラでも同じこと、当選は不可能なこと。

 力や能力のある者が当選出来ないのでは、立派な政治もやれなければ、立派な政治家も生まれることはない。政治を立派にしたいなら有権者がライオンやトラにならなきゃダメだが、マスコミに感化され易い大衆ではそれも無理というものだろう。

 今の政治家は、要は元官僚や世襲議員というブタが偉そうにしているだけで「民主主義」というのはこういうもの。「主権在民」などというと聞こえはいいが、1億2000万分の1の主権では、無いのと同じで、ある様に錯覚しているに過ぎない。

「主権在民」なんぞクソ喰らえだ。今のSNSやネット上ではそれが犇めき合って、夫夫ブタやネズミやニワトリがギャーギャーと鳴き声を張り上げているに過ぎず、結局は数の多いブタどもの世界になるより他は選択肢が無い時代なのだ(笑)

 国内を見渡せば、一番多いのが労働者だろう。取分け、労働組合なんぞブタの集団だ。その労働者や労働組合の支持を得ないことには政治家にはなれないのだから、まともなヤツが政治家を志すとも思えない。

 創価学会なんぞ養鶏場のニワトリだろう。飼い主の池田養鶏場の訳の分からん餌を喰らって育った単なる大安売りの鶏肉を、公明党が叩き売ってるに過ぎない。こんなブロイラーを食べたがってるのだから安倍自民党も高が知れているわな(苦笑)

 政治を糺すのは大いに結構な心掛けだとは思うが、政治の仕組みや選挙の仕組みがそうなっているのだからどうしても変わり様がない。そんな杞憂より、自分の仕事に専念してた方が余っぽど国の為になる。米国のポピュリズムを批判したところでどうなるものでもないし、そんなことより我が国の足元を見つめ直したら如何か。

 衆愚政治はこれからも続くだろう。そして行き着く処まで行かなけりゃ国民が国家の危機に気が付くことも無い。そしてその時に市井の民を中心に維新という革命が起こるのだ。そう、歴史は常に繰り返されるものであるのだから。呵呵大笑。

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cordial8317 at 10:08│Comments(0)

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