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2022年01月15日

売春を「悪」とか「不潔なもの」と考えているのならどっちもどっち

 団体も辞し上京する機会も減り好きな寄席にも行けなくなった。落語というのは話術も勉強になるが、日本人として学ぶべき歴史や蘊蓄などが沢山詰まってて参考になる。街頭宣伝をする活動家は本より寄席で人間模様を学んだ方が好い。

 ほろりと来る人情噺も好いがやはり笑える滑稽なネタが好きだ。落語には吉原に纏わる一席は多い。愚生の好きなネタの一つに吉原を舞台にした「錦の袈裟(にしきのけさ)」というのがある。上方落語では「袈裟茶屋」と呼ばれる古典落語である。

 昔は、江戸っ子が遊びに行くといえば吉原と相場が決まってて、そんな男衆が何人か集まると必ずこの吉原での遊びの話になったという前説から始まる。

 扨て、祭りも終わり、打ち上げを吉原でということになるも、何やら「隣町の連中が吉原で緋縮緬(ひぢりめん)の揃いの長襦袢で遊んで盛り上がったらしい」という話を耳にし、「ならばこっちはもっと派手に」と、全員で錦の褌(ふんどし)を着けて総踊りという案を出す。だが、褌がどうしても一人分足らない。

 そこで与太がかみさんに相談。かみさんは、褌を作るにしても緋縮緬布など無いし、そこでかみさんが一考。「あそこの住職の袈裟を借りてこい。それで褌をこさえてやるから」と相成り、どうにか男衆全員で吉原へ繰り出すこととなった。

 吉原に着くなり男衆らは座敷でどんちゃん騒ぎ。仲間が芸者に相手にされない中で、錦の褌をした与太が茶屋ナンバーワンの花魁に惚れられるというオチ。

 住職の派手な袈裟を褌にしてしまうとは色んな意味で快哉なネタだ。で、与太とかみさんの遣り取りが面白い。しゃあしゃあとかみさんに「吉原に行くから」と相談する方もする与太も与太だが、それを聞いたかみさんの台詞がまた好い。

「必ずそういった話になるから、祭りってのは嫌いなんだよ。でも、行かせないってのも、後後、色々言われるし。あんた、帰って来る時は塩でしっかり洗って来るんだよ!」と、おかみさんは与太に袈裟の褌を着けさせ送り出した(笑)

 昔の吉原遊郭というのは、男が遊ぶ場所で社交場でもあった。女房にしても商売女(芸者)との遊びは遊びとして気に留めず、大らかさがあったのは確かだろう。

 昭和31年、売春防止法が施行されて以降、売春という行為そのものが「如何わしい行為」「不潔なもの」とされてしまったことで性への認識が変わって行く。

 売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗を乱すものであると施行されたが、所謂従軍慰安婦問題などの根底にはこうした売春婦への嫌悪感や差別があるのは確かだろう。だが、売春防止法は戦後11年後に施行されている。

 つまり、それまでは売春は合法だったのだ。売春婦に成らざるを得なかったことは憐憫の情は隠せない。未だに韓国では、慰安婦という名の売春婦だった婆さんが被害者ぶって大騒ぎしてるが、いつまで経っても強欲さは消えることは無い。

 大正から昭和初期の日本は利益は財閥が独占し、政治の不作為甚だしく、多くの国民が貧困に喘いでいた。中でも、冷害に襲われた東北の農家の貧しさは酷いものだった。口減らしや、家族や幼い妹や弟を救おうと姉が身を売らざるを得なかった。

 韓国人慰安婦より東北や九州の農家の女性が多かった。昭和維新を惹起した五一五事件や二二六事件の背景にはこうした不条理があったことを忘れてはならない。

 金儲けとしか考えない現在の違法な売春行為と、昔の吉原の遊びを一緒くたにするのは無理があるが、ある一時代には、悲しい哉、職業として娼婦に成らざるを得なかったことを、現代の安っぽい倫理観や道徳観で語るのは如何なものか。

 政治の不作為から極貧に喘ぎ、故に吉原に売られた幼い子らも自分の意志ではないにしても、身体を張って家族を守り、そして貢献したことは立派なことだと思う。

「慰安婦は職業としての売春婦」と発言し、騒ぎになると直ぐに発言を撤回したアホな国会議員がいたが、この発言を鬼の首を獲ったかの様に断じている連中は売春そのものを「悪」であり「不潔なもの」と考えているのならどっちもどっちだ。

 売春行為が絶対悪ならば売春婦を摘発し、彼女らが身体を売らないで生きられる具体的な施策を打ち出すべきだがそれも到底無理なこと。性は自然の摂理であり、特に男性の生理現象は愛情が無くても十分。ソープランドは必要なのだ(笑)

 いっそのこと、売春防止法を廃止し、遊郭や赤線を復活し、世の男性に夢を与えた方が好い。非合法だから料金もそれなりに高くなってるだけで、赤線復活となれば売春相場も激減し、売春しようという女性も少なくなるのではなかろうか。

 街の彼方此方に立ってる外国人女性の売春や非合法の売春は否定するが、ソープランド嬢は菩薩であり、慰安婦というのは立派な職業だったのです。浅草演芸場の寄席も好いが、菩薩に会いに錦の褌を締めて吉原へ繰り出したい気分だ。呵呵。

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cordial8317 at 09:26│Comments(0)

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