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2016年10月12日

一片の瘠せ我慢こそ百千年後に至るまで国の独立を維持する上で大切である

 福沢諭吉は、西南の役が鎮定して間もない明治10(1877)年、「瘠(やせ)我慢の説(記)」を執筆。その後、明治24(1891)年、この文を脱稿。明治34(1901)年、「時事新報」に掲載される。この中で福沢は、「一片の瘠せ我慢こそ百千年後に至るまで、国の独立を維持する上で大切である」と説いている。

 福沢諭吉は、嘗て幕臣だった勝海舟と榎本武揚が、敵方である薩摩・長州中心の新政府から優遇を受け、大臣にまで昇りつめた出世を厳しく批判している。

「幕府が最後の死力を張らずして、唯一向に和を講じ哀を乞うて止まずとは立国の要素たる瘠我慢の士風を傷ふたる。独り怪しむ可きは、氏が先きの敵国の士人と並立て旧幕府の幕風を脱して愉快に世を渡りて、得々名利の地位に居るの一事なり」

 その諭旨は「勝海舟はひたすら講和を主張し、官軍と一戦も交えず開城したのは、要素たる士風を損なった。例え、内乱が国家にとって無益大害の極みであっても、抵抗するのが武士の意気地ではないか」と二人を厳しく指弾している。

「人の生命と財産を救ったのは評価するが、世話になった親(幕府)を見殺しにするような態度は、国家としての風潮を無に帰する行為だ。後世の日本人よ、奴を真似してはいかんぞ」と、勝を痛烈に批判。榎本武揚に対しても同様に苦言を呈している。

「氏の為めに苦戦し、氏の為めに戦死したるに、首領にして降参とあれば、憤戦止まらず、其中には父子諸共に切死したる人もありしと云ふ。死者もし霊あらば、必ず地下に大不平を鳴らすことならん」「中島三郎助父子のような気概溢れる武士にアンタは顔向け出来るか。普通なら出家隠棲は無理だとしても、世間の目に触れず社会の片隅でひっそりと生きていくことこそ本意だった」と批判している。

「榎本は必敗覚悟で五稜郭に立て篭もり、官軍に反抗したのは功名といえるが、降伏後に立身出世を志したのは、その過去を傷つけるもので、両人共、敵味方のケジメをつけ、野に下ることこそ取るべき道であった」と諭しているが蓋し正論。

 現今の我が国内を見渡せば、政治家を筆頭に「義」を守る者が余りにも少なく、利権に集り、私利私欲に狂奔し、カネに群がる不逞の輩ばかりなり。

 現代日本では、福澤翁が諭した「瘠せ我慢」の気風は何処へ行ってしまったのだろう。政治家は票欲しさに国民に媚び、国民もまた泣き言さえ言えば助けて貰えるという風潮は、国家国民の堕落を象徴するものである。「我慢」「辛抱」「忍耐」というものは人としての大事な教えであり、また立国の大事な要素でもある。

 人夫夫に艱難辛苦はある。苦しさを辛さを平然としてみせることはもっと大事なことだ。 「武士は食わねど高楊枝」というが、喩え貧しくても清貧に安んじ、気位を高く持つ「瘠せ我慢」こそが日本人の美徳であり、崇高な日本精神といえよう。

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cordial8317 at 15:24│Comments(0)

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