不幸を量産し続けるパチンコは諸悪の根源であり非合法化するべし!口下手な日本人の美徳や微風を外国人に理解させるのは不可能である

2022年02月19日

「男女共同参画社会」とは男の甲斐性の無さの現れでもある

 政治批評のブログ「爆ちゃん吼える」だけではなく、右翼後進への獅子吼である「ザ・右翼ジャーナル」や地元の企業ネタのライフワークの「汚れた顔の紳士達」、福島県内の食べ歩きのブログ「爆ちゃんのふくしまグルメ探訪」も綴っている。

 食べ歩きのブログは、備忘録でもある「食べログ」からの転用記事が多く、原発事故にもめげずに県内に留まり頑張っている飲食店を取り上げて応援している。

 この食べ歩きのブログを見て、「毎日高価なグルメお食事ができてセレブお金持ちなんですね。働かなくてもお金持ちなんてすごーい。お金が出てくる魔法の壺でもお持ちかしら?」なんて、トンチンカンなメッセージも届くこともある。

 愚生は何も高級な料理を毎日食べてる訳でもなく、記事の多くは土日祝日に愚妻と行くラーメン屋を中心に人気のB級グルメといった店を取り上げてることが多い。これをして「毎日高価なグルメ」とは、チト見方が薄っぺら過ぎはしないか(苦笑)

 政治批評や右翼ジャーナルなんぞ読まない人からは「食べることばかりだ」なんてコメントが入ったりする。価値観の違いといえばそれまでだが、池波正太郎や山口瞳といった作家は食文化を大事にしたし、衣食住の中でも「食」は大事なことだ。

 嫌味や腐すことよりもう少し、自分を高めることに投資すべきだと思うが、所詮は「生活が苦しくてそんな余裕はない」との答えが返ってくることは想像出来る。

 愚生は食べることも好きだが、料理を作ることも好きだ。パートに出てた愚妻の弁当作りや食事は愚生が担当。料理は好きだから苦にはならないし、料理を作るというのは頭も使うし、日頃のストレス解消にもなるし、何より作ってると愉しい。

 毎日旦那や子供の為に料理を作ってる専業主婦の苦労も分かるが、何事も、楽をしようと思わないで楽しくやれば好いだけのこと。同じ「楽」だが意味は全く違う。「楽をするより楽しくやろう」とは、料理にも子育てにも何にでも通用する。

 何事もホンモノを知ることは大事で、料理にしてもホンモノの味を知らなきぇりゃ中途半端なものしか作れない。そういう意味ではホンモノを知る為の食べ歩きは必要なことで、若いうちは給料を叩いてでもホンモノを探究すべきだと思っている。

 それを池波正太郎は、「一日1000円の料理を食べるとしたら、そのカネを半分に減らし、残った500円を10日貯めれば5000円。それで高い料理を食べる様に心がける。10日でなく一ヶ月なら15000円の料理を食べられる」と教えている。

 食事というのは大事で、その大事がコンビニ弁当だったり、大手居酒屋チェーンの料理ばかりでは単なる犬猫と同じ腹を満たすだけのエサだ。そんな大事な食事だが不味い料理に出会うと、人生の一日を損した気分になるのも確かだろう。

 愚生の料理はその日の気分で、冷蔵庫の残りもので作る簡単な料理ばかりだが、それでもそれを互いに「うん、うまいなぁ」となればホンモノの仲というもの。

 こうした価値観は何も夫婦に限らない。今付き合ってる彼氏や彼女が、共に食べてるものを同じ様に感じればそれは相性の好い印しだし、料理の他にも風景にしろ、事件やニュースにしろ、同じ感動があればそれは最高の相性と言える。

 味覚の違いは大事なことで、愚生の経験から言えば「好き嫌いの激しい人」というのは、仕事にしても何事も自己中心的で選り好みが激しく厭きっぽい人が多い。

「男子厨房に入るべからず」だとか「男は台所へ首を突っ込むものではない」と昔は聞いたものだが、池波正太郎に言わせれば、それは「半可通」と言うらしい。

「半可通」の「半可」とは「生半可」の半可のこと。要は、中途半端な知識をひけらかす「知ったかぶり」ということだ。織田信長にしろ豊臣秀吉にしろ、加藤清正や伊達政宗ら、戦国時代の一流の武将らの多くが台所へ首を突っ込んでいる。

 愚生の好きな池波正太郎の代表作である「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵も、「剣客商売」の秋山小兵衛にしても、料理をあれやこれやと指南するシーンは多い。自分で包丁を持たなくても、きっちり女房に指示するのも亭主の責任の一つでもある。

 男女共同参画社会の中で亭主関白を通すことは大したものだと思う。かみさんを前にして偉そうにしているのも貴重だわな。それでいて「これが不味い」だの「あれじゃダメだ」というのは、自らの甲斐性の無さを曝け出している様なものだという。

「典座(てんぞ)」という僧がいる。多くの僧の床座や食事などの雑事を司る役僧のことで、今では食事係の僧のことを「典座」という様になったという。

 日本曹洞宗の開祖である道元の教えの一つに、「喜心老心大心(きしんろうしんだいしん)」という教えがあるという。「喜心」とはその名の通り喜ぶ心であり、料理する喜び、食べてくれる人の笑顔に喜びを感じる心などを表す言葉である。

「老心」は子供を想う親の心で接しなさいという戒め。「大心」というのは、偏りのない広い心を持ち、謙虚にして初心を忘れるべからずという意である。道元のこの「喜心老心大心」との教えは、料理人ならば絶対不可欠なものと言って好いだろう。

 最近は「食べて遣わす!」的な店や料理人が多く、どうも気に入らないというか居心地の悪い店が少なくない。亭主というのはある意味「典座」であらねばならない。

 亭主関白ぶって自ら台所に立たずとも、客が来たなら「典座」の心で客をもてなす。抑々「馳走」とは心を込めたもてなしことなのだから。亭主関白とDVは紙一重。先ずは毎日料理をしてくれる女房にも感謝することは忘れてはならない。

 日々こういう心構えでいれば「男女共同参画社会」なんてのは要らないのだが、昨今の女性の社会進出は逆を言えば男の甲斐性の無さの現れでもある。呵呵。

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cordial8317 at 08:01│Comments(0)

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