北海道へのソ連軍進駐を阻んだ「占守島の戦い」は大きな意味があったのだ除染なんぞ止めてしまえ!除染作業は百害あって一利なし!

2015年08月20日

「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」

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 ポツダム宣言の受諾後もソ連の北方領土の強奪、残虐非道、鬼畜の行為は終戦後も収まる事はなく、外務省の外交文書には、昭和20年8月9日以降のソ連(ロシア)の蛮行が生々しく書かれている。

 「ソ連兵は30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし、邦人の所持品は一物をも残さず略奪し、婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・」

 「捉えられた婦女子は監禁され、ソ連兵に凌辱される」。そういう恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくない。

 樺太では昭和20年8月20日、樺太真岡郵便局の女子郵便局員の伊藤千枝(23歳)、可香谷シゲ(23歳)、沢田キミ(19歳)、志賀晴代(22歳)、高石みき(24歳)、高城淑子(19歳)、松橋みどり(17歳)、吉田八重子(21歳)、渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 彼女達の悲劇を伝えた映画「氷雪の門」という映画がある。

 (あらすじ)昭和20年夏、樺太の西海岸に位置する真岡町でも日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていた。

 ソ連軍侵攻からの避難民は群をなして真岡町に向った。

 8月15日には玉音放送によって終戦が告げられ、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出されるも、20日のソ連軍の上陸で間に合わなかった。

 志願して職場に留まり、追い詰められた女性交換手達は、通信で寄せられるあちこちで次々と殺害される市民の状況から、自らも青酸カリによる自決を選ぶしかなかった。

 9人の乙女の像に刻まれている「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉だった。(あらすじ終わり)

 今ではレンタルビデオでも気軽に見れる様になったが、この映画の上映が決定された昭和49年には、ソ連の御先棒を担ぐ日本社会党(現・社民党)や日本共産党らは猛反対し、終には上映されることはなかった。

 「平和」が好きな共産党や社民党とは所詮はこの程度の政党なのだ。

 その後、公に公開されることは無くなったが、統一教会系の勝共連合がこの映画の放映権を取得し、徐々に国民に知られる様になった。

 大学時代の昭和56年頃、勝共連合幹部と知り合いだった愚生は、同級生で横浜の右翼団体隊長の伊藤満を同道し、赤坂の勝共連合の本部事務所を訪問し、この映画を視聴したことがあった。

 放映後、互いの目が充血していたのを懐かしく思い出す。合掌。

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cordial8317 at 08:17│Comments(0)

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