検察のメンツか、「袴田事件」即時抗告審、DNA鑑定検証へ「終戦記念日」というより「平和祈念日」と言う方が好ましいのでは

2015年08月15日

8月15日は「終戦記念日」ではありません!

 安倍総理の談話を読んでみた。間接的表現が多く、細かいことを指摘すれば限が無いが、村山や小泉談話よりは纏められてる内容で、中韓も一定の評価をしている処を見ても及第点を与えても好かろう。

 唯、いい加減、こうした談話は止めて貰いたいものだ。

 8月15日は「終戦記念日」とされているが、終戦の詔勅(玉音放送)が発布された日であって、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。終戦記念日は、昭和27年4月28日というのが正しい。

 「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことであるが、靖國は追悼施設にはそぐわない。

 今日は、全国から自称・愛国者や営業保守らが靖國神社に参集し、英霊に哀悼の意を表するが、靖國は追悼や慰霊というより、英霊の顕彰を重んじている社であって、その死を悼み悲しむ場所とは違う。

 「顕彰」とは、隠れた功績、善行などを称えて広く世間に知らせることである。

 軍服マニアや政治団体が靖國に集い、靖國に眠る英霊にだけ追悼している光景は顕彰とは程遠く、贔屓の引き倒しと断じられても致し方ない。

 また、「反天連」などの蛆虫連中も靖國前で騒ぎ立てるが、左右入り乱れての喧騒は感心しない。

 遺族にとっての終戦記念日は喧騒の中で終るのが恒例となってしまっているが、遺族にとって願うことは陛下の御親拝以外にはない。

 唯々、陛下の御親拝遊ばされる環境が整うことを願うばかり。

 未だ東京裁判史観に冒され、反省の言葉ばかり口にする我が国は、「終戦」とは名ばかりの、未だ主権快復も出来ていない国家だと痛感する。

 抑抑、戦争犯罪とは、ハーグ陸戦法規やジュネーブ条約に規定される「捕虜に対する人道的取り扱い」や「無防備地域に対する攻撃の禁止」など、戦闘行為に於ける将兵の「国際法違反」を問うものである。

 当時の国際法では、戦争を遂行した国家の主導者が個人的に犯罪者として裁かれることは無かったし、今日でも、国際法の直接的指導・命令者で無い限り同様である。

 然るに、東京裁判では被告の方々は「平和に対する罪」「人道に対する罪」と称する事後法によって裁かれたのである。

 この様な事後法は、隣の韓国じゃあるまいし、近代法治主義が最も忌み嫌う行為であるし、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」が正当ならば、米国の原爆投下やロシアの蛮行も断罪されて然り。

 東京裁判の目的は明らかに、勝者の敗者に対する見せしめであり、復讐であり、日本は「悪」であるという虚構の観念を、全ての日本人に植え付ける為のものだったのだ。

 米国人弁護人、ブレイクニーは、「広島・長崎への無差別殺戮兵器の原子爆弾の投下を命じた者に被告らを裁く資格は無い」と叫んだ。蓋し正論であろう。

 同じ米国人弁護人のローガンは、「欧米から経済的、軍事的に追い詰められた結果の日本の自衛戦争である」と指摘しているし、インドのパール判事は被告の「無罪」を主張している。

 必要なのは冷静且つ客観的に、そして科学的且つ公平に先の大戦の是非を明らかにすることが肝要であって、「靖國神社にはA級戦犯が祀られている」だとか、「戦争犯罪人を祀るべきではない」だとか、そうした詭弁を弄したところで意味はない。

 日本人自ら「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」などと呼称しているのは実に情けないもので、精神的貧困さを示す典型的なものだろう。

 刑死・獄中死された方は「法務死」、靖国神社では「昭和殉難者」と称し、所謂B・C級戦犯は1068名が御祭神で、それ以外リンチに等しいもので亡くなった方が約100名が祀られている。

 東京裁判の茶番劇で、或いは外国の地で不当に処刑されたこの方々の命は軽いものではない。

 我が国の政治家共は口々に「反省」を述べ、「謝罪」を口にする。安倍もまた「お詫びは不変」だという。そんなに詫びたいなら、腹を切って詫びれば良いではないか。

 「戦犯」の汚名を着せ続けられているこの方々が、敢えて反論もせず諒として罪を償ってくれたのだ。

 こうした悲劇の現実を今を生きる我々は決して忘れてはならない。

 今日は高校野球でも正午の時報に合わせ黙祷が捧げられます。別に靖國に詣でることだけが立派な事ではありません。今立つ処で心静かに祈ることこそ大事だと思います。

cordial8317 at 10:23│Comments(0)

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