日本には「愛国心」などという言葉はそぐはないのではないか(三島由紀夫)国旗「日の丸」と国歌「君が代」は我が国體の精華を見事に現している

2021年01月23日

国士とは「歩」が成った様な者である(國士舘初代館長・柴田徳次郎)

 國士舘初代館長・柴田徳次郎先生は「国士とは『歩』が成った様な者である」と喩えた。将棋では金や銀、飛車や角が大事にされるが、軽く見られる「歩」こそ大事に扱わなければならない駒で、学生を「歩」に喩えて育成の大事さを教えた。

「ヘボ将棋、王より飛車を可愛がり」だとか「桂馬の高飛び歩の餌食」など、将棋には面白い川柳や諺が多くある。中でも「歩の無い将棋は負け将棋」という格言は、教師や会社経営者に人を育てる上での大切さを考えさせる言葉だろう。

「歩」というのは生徒であり、企業でいえば若い社員であり、この社員を活かすも殺すも上司の腕の見せ所。この歩の人材を如何に育てるか、そしていつかはその歩が「金」と成って、会社は言うに及ばず、延いては国の宝となるのである。

 将棋では駒を動かすことを「効かす」とか「働かす」という言葉を使う。つまりは、上司は部下を無闇やたらに「動かす」のではなく、動くに「人偏(にんべん)」をプラスして如何に上手に「働かす」かが大事であるということだ。

 駒の欠点を周りの駒で補いながら、その駒の長所を伸ばし、折角の駒を死に駒にしないで働かせることで勝ちに繋がるもので、会社の経営なんかも同じこと。

 まぁ、愚生は「歩」というより「香車」だろうか。不器用に真っ直ぐにしか進めない。それでも未だ「成れる」可能性もあるが未だに「成る」手前で留まっている。大器晩成と言われたこともあるが、このまま終わる可能性は限りなく大きい(笑)

「一年で育てようと思うなら花を育てるべし。十年で育てようと思うなら木を育てるべし。百年かけて育てようと思うなら人を育てるべし」という言葉がある。

「人材育成というのはインスタントに出来るものではない」というのは、誰もが自覚していることだろう。ならば、普段から学校は勿論のこと、家庭でも、地域でも、周りで子供や若者を育もうという意識がなければダメだ。

 花を育てたり、木を育てるにしても臭い飼料もたまには与える様に、人もまた甘やかすだけでは立派には育たない。温室で育った野菜や果物は見かけだけで味に深みはない。やはり自然の風雪に耐えてこそ味に深みが出るというものだろう。

 人間だって同じ。たまには愛情ある鉄拳も必要だし、厳しく突き放すことも必要だ。「個性を磨く」というのは本来そういうものでもあるのだ。

 人を育てるというのは、日本刀が出来上がる過程と実に似ていると思う。日本刀は先ず卸し鉄を「積み重ねる」ことから始まる。人生も積み重ねから始まる。

 そして「鍛錬」し、更に「下鍛え」し、何回も何回も鍛え上げ「芯鉄」を鍛え造り込む。叩いて叩いて鍛えることで強靭で立派な刀が出来上がるのだ。

 柴田徳次郎先生も「刀というのはトンテンカン、トンテンカンと叩いて叩いて鍛え上げなければ五郎入道政宗とか村正といった立派な刀は出来ません。国士舘の生徒も先生だけの指導だけではダメで、学校も親も一緒になってお子さん方を鍛え上げて行かなければ立派な日本人に育てることは出来ません」と訓示している。

 日本刀を作る上で最も大事なのが「焼き入れ」。この「焼き入れ」を行うことで刀に命を吹き込むのだが焼き入れ一つで刀の出来も価値も変わってしまう。

 本来「ヤキを入れる」とは鍛錬の一つなのだが、最近では行為を正そうとしたビンタでさえも単なる「暴力」として扱われてしまっているのは残念なことだ。

 ヤキとは鍛錬であり、愛情を以て鍛錬しなくてはダメだ。そのヤキ(指導)の在り方を間違うから問題とされる。人を育てるというのは実に難しく「鍛錬」の仕方が悪かったのか、それとも「ヤキの入れ方」が足りなかったのか。

 何れにしても「人創り」というのは一朝一夕に出来上がるものではなく、上に立つ者の力量(指導力)に係っていると言っても過言ではない。つまりは、鍛錬されてない上司や指導者(先生)に仕える生徒や部下は気の毒でもある。

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cordial8317 at 07:50│Comments(0)

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