2015年05月29日
戦争とは政治の延長であり、つまり、辻元の様な政治家が戦争を誘発する最大要因である
中谷防衛大臣との論戦の中で、自説を滔滔と述べる辻元清美に、安倍首相が「早く質問しろよ!」と浴びせかけた。野党は待ってましたとばかりに、この安倍のヤジだけを論い、審議優先から安倍も直ちに陳謝した。
ヤクザに謝ると、それを口実に揚げ足を取られ、ケツの毛まで毟り取られるのと同じで、民主党や野党が、ここぞとばかり審議拒否の作戦を謀ろうとしてるのはヤクザの揚げ足取りと一緒だ(笑)
辻元は「ホルムズ海峡に機雷をまかれた場合、日本のまわりの近海を海上封鎖をされたことと同等とお考えですか?」と中谷大臣に質す。
中谷も中谷で中途半端な答弁に終始する。何か余計なことを言って揚げ足を取られるのではという委縮してる感じが窺える(笑)
煮え切らない中谷を後目に辻元は演説を始める。
「アメリカの統合参謀本部の資料に機雷作戦というのが出ているんですね。機雷作戦というのは戦争の一環ですよ」
「機雷というのは今まで湾岸戦争の時も、サウジアラビアは自分の領域に機雷が来るかも知れませんと、掃海しました」
「日本が機雷の掃海に行くということは相手国からみれば敵国になる訳です。そうすると、私が心配しているのは日本国内や日本人がテロに狙われる可能性は増えると思いますよ」
「そして、自衛隊も任務が増える訳ですから自衛隊員が死亡したりするリスクの論理がありますけど、増えると思いますよ」
「ですから受動的とか能動的という言葉でいうんじゃなくて、これは機雷の掃海、海の掃除に行くのとは違うんです。軍事作戦行動の一環な訳です。ですから日本人が機雷の掃海に行くことによって、世界中からテロに狙われたり、日本国内もテロに狙われるかも知れないです」
テレビ放映されてるからと、こうした訳の分からん自説を垂れ流されれば、聞いてる方から「(意味が分からないから)早く質問しろよ!」という反論が出るのは当然とも思える。
ホルムズ海峡に機雷が撒かれるというのは我が国の経済封鎖を意味し、それを取り除く為にあらゆる作戦を講じるのは当然の事だ。
3月の衆院本会議上、枝野民主党幹事長が「ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくても快適な生活が送れなくなる程度」と語ったのは記憶に新しい。
民主党のシーレーンの防衛に対する認識とはこの程度で、ホルムズ海峡に機雷が撒かれた結果、我が国の電力供給が停止することになれば福島原発事故以上のパニックが起きるのは必至で、これ即ち「間接的に人命が失われる」危機でもあるのだ。
民主党が危機意識が乏しく、国防意識も決定的に欠落しているというのはこういうこと。そして、辻元はこうも述べた。
「なんらかの事態があり得ないというのはそれは全く現実から目を背けているダチョウの論理に近い訳でありまして、起こって貰いたくない論理には目を背けるということです」
現実から目を背けてるのは辻元らだろうが、こうした「自分の事は差し置いて」質問出来る、あの精神的逞しさには尊敬すら覚える(笑)
辻元の言わんとする理由とは全く逆だが、起こって欲しくない問題を想定し、あらゆる対策を講じるのが政治家の務めであり、防衛である。
そうした対策が功を奏せず、戦争が起きたならば断固として戦うだけだ。
それもまた政治というものなのだ。
小林よしのりは「平和」の反対が「戦争」ではなく、「混乱」だと言った。それに否定的な意見も聞くが、「平和」の反対が「戦争」というのは実に作為的な表現なのは確かだ。
「戦争」とは国際法上認められてる行為であり「悪」ではない。
我が国は、負けてしまったから「悪」となってしまったのだ。
ポツダム宣言の受諾にしろ、戦勝国の論理であり、それらを楯に自国を卑下し、戦争をも否定するというのは、正しく米国の戦後の価値感の押し付けであり、未だ占領政策から目覚めていない証左である。
共産党の志位なんぞ、その実は親米派だろう(笑)
先の大戦は、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残した。
米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教える。
戦争とは政治の延長なのだ。つまり、戦争は自衛隊の海外出兵や安全保障法制を創ることで起こるのではない。
辻元の様な政治家こそが戦争を誘発する最大要因である。
ヤクザに謝ると、それを口実に揚げ足を取られ、ケツの毛まで毟り取られるのと同じで、民主党や野党が、ここぞとばかり審議拒否の作戦を謀ろうとしてるのはヤクザの揚げ足取りと一緒だ(笑)
辻元は「ホルムズ海峡に機雷をまかれた場合、日本のまわりの近海を海上封鎖をされたことと同等とお考えですか?」と中谷大臣に質す。
中谷も中谷で中途半端な答弁に終始する。何か余計なことを言って揚げ足を取られるのではという委縮してる感じが窺える(笑)
煮え切らない中谷を後目に辻元は演説を始める。
「アメリカの統合参謀本部の資料に機雷作戦というのが出ているんですね。機雷作戦というのは戦争の一環ですよ」
「機雷というのは今まで湾岸戦争の時も、サウジアラビアは自分の領域に機雷が来るかも知れませんと、掃海しました」
「日本が機雷の掃海に行くということは相手国からみれば敵国になる訳です。そうすると、私が心配しているのは日本国内や日本人がテロに狙われる可能性は増えると思いますよ」
「そして、自衛隊も任務が増える訳ですから自衛隊員が死亡したりするリスクの論理がありますけど、増えると思いますよ」
「ですから受動的とか能動的という言葉でいうんじゃなくて、これは機雷の掃海、海の掃除に行くのとは違うんです。軍事作戦行動の一環な訳です。ですから日本人が機雷の掃海に行くことによって、世界中からテロに狙われたり、日本国内もテロに狙われるかも知れないです」
テレビ放映されてるからと、こうした訳の分からん自説を垂れ流されれば、聞いてる方から「(意味が分からないから)早く質問しろよ!」という反論が出るのは当然とも思える。
ホルムズ海峡に機雷が撒かれるというのは我が国の経済封鎖を意味し、それを取り除く為にあらゆる作戦を講じるのは当然の事だ。
3月の衆院本会議上、枝野民主党幹事長が「ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくても快適な生活が送れなくなる程度」と語ったのは記憶に新しい。
民主党のシーレーンの防衛に対する認識とはこの程度で、ホルムズ海峡に機雷が撒かれた結果、我が国の電力供給が停止することになれば福島原発事故以上のパニックが起きるのは必至で、これ即ち「間接的に人命が失われる」危機でもあるのだ。
民主党が危機意識が乏しく、国防意識も決定的に欠落しているというのはこういうこと。そして、辻元はこうも述べた。
「なんらかの事態があり得ないというのはそれは全く現実から目を背けているダチョウの論理に近い訳でありまして、起こって貰いたくない論理には目を背けるということです」
現実から目を背けてるのは辻元らだろうが、こうした「自分の事は差し置いて」質問出来る、あの精神的逞しさには尊敬すら覚える(笑)
辻元の言わんとする理由とは全く逆だが、起こって欲しくない問題を想定し、あらゆる対策を講じるのが政治家の務めであり、防衛である。
そうした対策が功を奏せず、戦争が起きたならば断固として戦うだけだ。
それもまた政治というものなのだ。
小林よしのりは「平和」の反対が「戦争」ではなく、「混乱」だと言った。それに否定的な意見も聞くが、「平和」の反対が「戦争」というのは実に作為的な表現なのは確かだ。
「戦争」とは国際法上認められてる行為であり「悪」ではない。
我が国は、負けてしまったから「悪」となってしまったのだ。
ポツダム宣言の受諾にしろ、戦勝国の論理であり、それらを楯に自国を卑下し、戦争をも否定するというのは、正しく米国の戦後の価値感の押し付けであり、未だ占領政策から目覚めていない証左である。
共産党の志位なんぞ、その実は親米派だろう(笑)
先の大戦は、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残した。
米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教える。
戦争とは政治の延長なのだ。つまり、戦争は自衛隊の海外出兵や安全保障法制を創ることで起こるのではない。
辻元の様な政治家こそが戦争を誘発する最大要因である。
cordial8317 at 08:01│Comments(0)
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