東京大空襲と海軍記念日に想いを馳せる戦争とは政治の延長であり、つまり、辻元の様な政治家が戦争を誘発する最大要因である

2015年05月28日

自衛隊を憲法違反と断じ、訓練をも妨害しておきながら「リスク」とは(苦笑)

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 衆院平和安全法制特別委員会での議論を見ていると、実に日本というのは「平和」そのもの。武力の行使がどうのとか、憲法がどうのとか、その全てが御都合主義で真に平和を創り出そうという意志は感じられない。

 中でも滑稽なのは、日頃、自衛隊に否定的な連中が自衛隊員の「リスク」だとか、インド洋やイラク派遣によって54人が自殺したとか、如何にも自衛官を思い遣ってるかの様な役者ぶりは大したものだ(苦笑)

 自衛隊員の犠牲者はインド洋やイラク派遣での犠牲者だけではなく、昭和25年8月9日に警察予備隊が発足して以来、実に1822名の自衛官が殉職されており、東日本大震災で殉職された方々を入れるとその犠牲者は実に1851名にも及ぶ。

 東日本大震災などでの災害派遣や、我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に日夜行われている訓練などで1851もの自衛官が殉職されていることを、我々国民はどう感じているのだろうか。

 米国を始めとした国々の多くは、国に殉じた方々は英雄として扱われるが、我が国の場合、そうしたことは行われない。

 国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げ、慰霊し顕彰することは世界の何処の国でも余りにも当然のことで議論の余地などなく、今を生きる我々国民の義務でもある。

 我が国は諸外国に比べ、悠久の歴史と民族の一体性に恵まれている。ところが皮肉なことに、我が国では自衛隊員の殉職にしろ、靖国神社に眠る英霊にしろ、国の礎となられた方々は国家、国民から顧みられることが少ない。

 このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、我が国の政治家らは考えたことがあるのだろうか。

 野党の連中も自衛隊員の死を悲しむなら、その方々の追悼と慰霊や顕彰をどの様にすべきかも議論すべきではないのか。

 自衛隊を憲法違反と断じ、自衛隊員の訓練をも妨害しておきながら「リスク」を語ることは党利党略であり、自衛隊員に対する冒涜である。

 旧社会党が自衛隊を「違憲だが合法」と言ったのは誰もが知るところだが、自衛隊は現行憲法下では悲しいかな憲法違反の存在なのだ。

 9条第2項の、「前項(第1項)の目的を達成する上で陸、海、空の戦力は保持しない」という条文を読めば、小学生でも自衛隊が現憲法下では歪な存在であることが分かる。

 自衛隊が未だ「警察予備隊」のまま放置され続けているのは正に政治家の怠慢と言う他はなく、「集団的自衛権の憲法解釈」などという目先の誤魔化しで、またもあやふやな存在として放置し続けて好いとは思えない。

 喫緊に見直すべきは、集団的自衛権の行使云々ではなく、自衛隊の存在であり、法整備もせずに憲法解釈云々で屋上屋を架し、眼前の危機に対し拱手傍観していることの「リスク」の方が断然に高いことを自覚すべし。

 自らの国家の防衛をも否定する矛盾だらけの現憲法を見直し、違憲状態の自衛隊を「国軍」とすることに何を、何に躊躇し、誰に憚るというのか。

 全ての捩れは国の基本法である日本国憲法が元凶なのだ。自衛隊は国軍で在らねばならず、いつまでも自衛隊を巨大な警察組織として誤魔化し、放置する気なのか。

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cordial8317 at 08:23│Comments(0)

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