「在日米軍基地の7割超が沖縄に集中している」という言い方自衛隊を憲法違反と断じ、訓練をも妨害しておきながら「リスク」とは(苦笑)

2015年05月27日

東京大空襲と海軍記念日に想いを馳せる

 畏くも天皇皇后両陛下に於かれましては、昨日26日、東京大空襲での犠牲者慰霊の為に墨田区の東京都慰霊堂を御親拝遊ばされた。

 両陛下の御訪問は終戦50年だった平成7年以来のこと。

 昭和20年3月10日の「陸軍記念日」、大東亜戦争の起死回生の戦いを祈念している日を狙って米国は日本本土への爆撃を開始する。

 この爆撃によって多くの無辜の人々の尊い命が失われた。

 米軍による東京大空襲は昭和20年3月10日が最初で、日本の多くの家屋が木造だという理由から、非情にも火炎の強い焼夷弾を投下した。

 米軍これに飽き足らず、4月14日、5月25日にも空襲を断行している。

 5月25日の戦災では皇居にも及び明治宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失うこととなった。

 昭和天皇は空襲以降、御文庫を仮の御所とされ、昭和36年吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。

 戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先であるとの思し召しから、戦後も長きに亘って新宮殿の再建を御許しにならなかったという。

 3月10日の大空襲以降も陛下は、「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移り遊ばされることはなかった。

 先帝陛下の大御心の程を拝する逸話であろう。

 東京大空襲は、広島、長崎への原爆投下と同様、一般人の殺戮行為であり、国際法上も断じて許されるものではない。

 マッカーサーの右腕の一人、ボナ・エラーズは、この日本への空襲を「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言しているが、東京大空襲を始めとする地方都市への爆撃や広島・長崎の原爆投下、ドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例と言えよう。

 だが、東京裁判で連合軍は、「東京への爆撃は重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と荒唐無稽の弁明に終始する。

 日本人の中にも未だ、こうした米国のプロバカンダを信じ、「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった自虐史観が散見されるが、いい加減、こうした東京裁判史観から目覚めて欲しいものだ。

 戦後、日本人に対し未来永劫、贖罪意識を植え付けるのが目的であらゆる施策が謀られた。米国の意図は予想以上に成果を上げ、今や日本は「同盟国」とは名ばかりの「米国のポチ」として忠誠・従属を誓っている始末である。

 因みに、日本政府は昭和39年12月、東京大空襲の指揮官カーチス・イー・ルメイに対し、「国防への貢献が大である」として勲一等旭日大綬章を与えている。

 叙勲の際、東京大空襲の非を問われたルメイは、「民間人を殺したのではない、軍需工場を消滅させただけ」と詭弁を弄した。

 当時の総理は佐藤栄作、米国への隷属ぶりを示す出来事だが、ルメイへの叙勲は陛下から賜るものであり、実に不相応な叙勲だったと思う。

 本日5月27日は「海軍記念日」であります。

 明治38年5月27日、「日本海海戦」が行われ、東郷元帥率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃滅し、奇跡的大勝利を収めた日だ。

 日露戦争の勝利は欧米列強に日本の地位を認めさせることとなり、幕末以来からの懸案事項だった不平等条約、畢竟、明治維新の真の目的だった「治外法権」「関税自主権」という二つの不平等条約の克服を達成することになった。

 日清・日露戦争勝利により「治外法権」「関税自主権」の回復が成されたことで、明治維新の大業は成就し、真に独立を恢復することが出来たのだ。

 我が国の近代史にとって重要な歴史的記念日であり、そうした先人の苦労と努力の上に今の自分がいることを忘れてはならないと思う。 

 明治37年(1904)2月10日、我が国は当時世界最大の軍事大国だったロシアと民族の生死を賭けた戦いを開始した。

 1年半にも及ぶ強国との大戦に我が国は奇跡的とも言える勝利を収め、極東小国日本の存在を世界に知らしめることとなった。

 日露戦争の勝利は、ロシアから占領・弾圧されていたフンランド、トルコ、ポーランドといった国々や、有色人種と差別されていた民族に、国と民族の存在を決定的に変える影響を齎したのである。

 15世紀の大航海時代以来の白人による世界制覇の滔々たる流れが、日本の勝利によって大きく変化し、全世界の有色人種に与えた影響は強烈なものだった。

 印度のガンジー、ビルマのオマッタ、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャなど世界の各地で日本の勝利に狂喜し、有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がって往く。

 米国内でも、日露戦争後に、黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなったのは有名な話しだ。

 黒人誌「インディアナポリス・フリーマン」はこう社説で述べる。

 「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」

 それから15年後、パリ講和会議に於いて日本は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れる提案を行った。

 日本の全権使節団が、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者四人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くすことに尽力して欲しい」という嘆願書を全権団に提出した。

 しかし乍ら、こうした黒人の願いも、米国大統領ウイルソンが議長を務めるパリ講和会議で拒絶されていまうのである。

 日露戦争が齎した歴史的課題は、あの大東亜戦争を待たなければならなかったのだが、そういう意味でも先の大戦というのは歴史的必然だったのだ。

 その大東亜戦争で我が国は敗れはしたが、戦後、「人種平等の原則」という歴史的使命は果たされた事実を見れば、我が国こそが真の勝利者だったと言えよう。

 また今日5月27日は、海軍軍人だった亡き父の命日でもある。日本人として、また倅として、5月27日という日は決して忘れられない。合掌。

cordial8317 at 08:21│Comments(0)

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