安保法案閣議決定。見直すべきは集団的自衛権の行使云々ではなく自衛隊の存在である!オスプレイの事故以上に危険なのは中共の覇権主義だろうに(笑)

2015年05月17日

戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)

 5月15日は「沖縄本土復帰記念日」だったが、沖縄でもそれほど盛り上がってはいなかったのは気の所為か。尤も、沖縄左翼は、本土復帰よりも琉球独立を本気で考えているのだから恐れ入る。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくない様だが、米軍の撤退はイコール中共からの併呑を意味し、ならば自衛隊による自主防衛を訴えるべきではないのか。

 沖縄左翼は、こうした自主防衛は語らない。沖縄全体がきちんと突き詰めた議論が為されない儘に、安っぽい平和主義と過剰な被害者意識から、日本政府と米軍にその矛先が向けられている。

 これ恰も、正論を語れる雰囲気も無く、唯単に「反日」や「侮日」で結託し、罵詈雑言を浴びせかける隣国と同じ構図でもある。

 地理的に日本と支那の中間に位置する沖縄は、日本から見れば同じ日本人だが、支那や沖縄から見れば寧ろ支那と同族の関係にあった。

 住民は日本本土から南下した日本人と、ポリネシア系、台湾系、支那華南系がいるとされている。

 明の時代に支那に入貢して琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 日本への使者の派遣は室町時代になってからで、徳川幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し奄美大島を直轄化したが、琉球はその後に支那に誕生した清朝の冊封も受け両属の立場を採った。

 琉球は日本文化が拒絶した宦官制度を導入していたことでも支那との関係が深く、また日清戦争の際には日本派と清国派が乱闘を演じた。

 日清両属を主張する琉球を沖縄県として統合した「琉球処分」は、日本の国土統一を進める明治政府にとり不可避の課題で、明治5年琉球藩を設置し、琉球王の尚泰を藩王に任命、明治12年の「廃藩置県」の通達により首里王府を解体し沖縄県を置いた。

 しかし、清国はこれを喜ぶことはなく、東京や北京で画策を謀り国際問題化した。清朝の摂政・恭親王、直隷総督・李鴻章は北京訪問中のグランド元米国大統領と会見し、琉球問題の仲介を依頼した。

 日本を訪問したグランドは、伊藤博文、西郷従道と日光で会談するが、清朝の旧態を批判し、日本を支持したのだった。英国でも「琉球処分」での日本の論拠を擁護している。

 日光会談後、東京でも日本政府とグランドとの会談が持たれ、会談には明治天皇も御臨席遊ばされた。当時の日本外交が用意周到に展開されたことを窺わせるものである。

「琉球処分」後も、沖縄では頑固党(親清派)と開化党(親日派)との抗争が絶えなかったが、日清戦争で日本が勝利すると、親清派は沈黙し、初めて沖縄が静穏に発展し軌道に乗ったのである。

 今正に親中派がここぞとばかり蠢き出しているが、これは琉球処分への報復が着々と謀られているということでもある。

 民主党政権下で奨められた「沖縄ビジョン」はその最たるもので、首謀者は中共であり、沖縄左翼はその単なる駒でしかない。

 その革命運動の序章が米軍基地反対運動であり、平和の邦・沖縄という無防備の邦の演出である。

 三島由紀夫は嘗てこう訓えている。

「私は戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だと考えるものである」

 安保法制に反対している連中というのは正に無防備の害そのものであり、現憲法を「平和憲法」と語ってることこそが戦争を誘発する最大の危険要因となっている。

 今の時代「平和」とは、唱えていれば叶うものではなく、自らが命懸けで創り出さねばならないものなのだ。

cordial8317 at 07:42│Comments(0)

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