「憲法記念日」ではなく「新憲法の制定を祈念する日」が相応しい韓国や北朝鮮が主張する「強制連行」は、「徴用令」への無理解と我が国の歴史の捏造である

2015年05月06日

「子ども」表記に違和感を覚える

 5月5日は「こどもの日」。祝日法には「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨と記されてある。

 今日は子供の日であると共に、産んでくれた母親に感謝する日であるということこそ忘れてはなりません。

 古くはこの日は、菖蒲(ショウブ)や蓬(ヨモギ)を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降、男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったのに倣い町人が武者人形や鯉幟を立てる様になった。

 昔は「端午の節句」として、男子の健やかな成長を願う行事が行われていたが、女の子への差別だとし「こどもの日」としているが、5月5日は「あやめの節句」「菖蒲の節句」「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」という節目の日ということも覚えておくべきだろう。

 「こどもの日」というのは別にいいが、この「こども」を、相変わらず「子ども」と表記しているのを見かけるが、平成25年6月、文科省は公用文中の「子ども」表記を「子供」に統一していることを知らない様だ。

 敢えて知らないふりをしているのか、国会での審議や文科省の指導なんぞ無視し、平然と「子ども」表記を続けていることに違和感を覚える。

 「こども」については、漢字の「子供」ではなく、「子ども」との表記を使うのは、「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由。

 こうしたキチガイ的屁理屈を並べているのは、いつものアホンダラ左翼やジェンダーフリーの性的変質者共だということは言うを俟たない。

 こうした変態らの屁理屈を疑いもせずに、多くの国民は「子ども」表記に慣らされてしまったのだが、自治体や保守派であるべき自民党の議員までもが「子ども」と使用しているのはホント御粗末過ぎる。

 「男女共同参画社会(共参社会)」にしろ、「協働」の町づくりにしろ、総理府や国立婦人教育会館に巣食う全共闘系と共産党系の女革命家らが共同謀議的に考案したものだ。

 これを自民党政権下でろくろく議論もせずに疑いも無く導入し、今では担当大臣までいるというのだから呆れ甚し。

 「協働参画社会とは「共参社会」であり、「共産社会」の実現を目指すもので、 「協働」とはコミューンであり、「協同」という「コラボレーション」の意味ではない。

 「協働」は、共産党の生協が使ってた共産党の造語であり、つまり共産主義のコミュニティ集落というのがその語源の基となっている。

 こうした左翼の造語がマスコミなどを通じて巷に氾濫し、それを国民が疑いも無く使用している実態は、我々が想像している以上に左翼が権力側に入り込み、行政権と連結してしまっているという証左であろう。

 「子ども」表記を見付けたら、そこは間違いなく左翼の巣窟か、左翼に煽動されてることに気付いていない無自覚左翼、または単なるアホと見て間違いないだろう(笑)

cordial8317 at 07:40│Comments(0)

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「憲法記念日」ではなく「新憲法の制定を祈念する日」が相応しい韓国や北朝鮮が主張する「強制連行」は、「徴用令」への無理解と我が国の歴史の捏造である