2015年05月03日
「憲法記念日」ではなく「新憲法の制定を祈念する日」が相応しい
本日5月3日は、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」、所謂「憲法記念日」だが、国の成長を期する上で、現憲法が国の成長を阻害する元凶となっているのは言わずもがな。
そういう意味では「憲法記念日」ではなく、「新憲法の制定を祈念する日」が相応しい。
現憲法を否定する連中に、その理由を聞けば、「米国から押し付けられた憲法だから」という声が少なくない。だが、米国から押し付けられたものは憲法だけではあるまい。
戦後民主主義にしろ、営利至上主義の経済理論にしろ、戦後の平和や繁栄、或いはファッションや食べ物に至るまで米国製ではないのか。
「押しつけ憲法」がダメなら、米国から押し付けられている全てのもの、我が国に蔓延る米国製の価値観も否定すべきであり、隘路を切り開くにはやはり米国製の憲法を見直す以外には手は無い。
現憲法で得たものは、成否は別として「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」であり、今日の基を築いたと言ってもいいだろう。
また、朝鮮戦争への参戦を回避出来たのも現憲法の御蔭だ。
だが、逆に失ったものの方が断然に多い。
「礼節」「長幼の序」「忍耐・我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」・・・数え挙げたら限がない。
日本国憲法の所為かどうかは分からないが、日本人はいつの間にか利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神など皆無に等しい。
己を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人たる所以であり美徳美風なのだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れてしまった。
想えば、日本は戦前と戦後では全く別な国になった。無条件降伏した日本は米国の51番目の洲になっても不思議ではなかった。
だが、第二次大戦後の帝国主義の崩壊で免れた。
その代わり米国は徹底した教育改革を行った。
その徹底した「戦後民主主義教育」は、意図した以上の効果を上げ、現在もあらゆる処に影響を及ぼしている。
「戦後民主主義」とは、自国を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観だ。
その教育で育った者は国家から恩恵を受けながら、個人と国家を常に対立させ、恰も国家は「人間を抑圧する組織」と見做し、反国家反体制的なポーズをとることが「進歩的」で「文化的」だと錯覚している。
占領下、米国は徹底したのが言論統制を行い、中でも情報発信の中枢であったNHK、朝日新聞、岩波書店が監視下に置かれ洗脳された。
こうした中で誕生したのが「進歩的文化人」と称する新種である。
彼らは米国の指示通りに、国民へ自虐史観を教え贖罪意識を植え付ける。その結果、幼稚な正義感や平和主義を振り翳す「無自覚左翼」が氾濫した。
未だに彼らは米国の洗脳状態から脱却出来ずにいるのだが、いい加減、目を醒まして貰いたいものだ。
米国によって洗脳された親米派の連中が「平和」を唱え、日本を貶めているが、その多くが「反米」を声高に叫んでるのは最早コメディと言う他ない。
「もうあかん、亡国憲法、クソ憲法!」
現憲法を護るも変えるも亡国への道であることに何故に気が付かないのだろう。
護憲派にしろ改憲派にしろ、どちらも「九条」を重要だと認識していることでも分かる様に、目指してる方向が同じことに気付くべきだ。
右翼陣営の中にも一時期よりは少なくなりつつはあるが、「憲法改正」と「自主憲法制定」を一緒くたにしている者も少なくない。
「自主憲法制定や欽定憲法復元改正なんてとてもじゃないが無理。だったら取り敢えず改憲を目指すことの方がベストだ」という声も多い。
日本会議とかがそうだし、自民党も安倍も同じ認識だが、改憲への突破口として「第九十六条改正」を目論み、それ機に党是である新憲法の制定を目指しているのであれば、その手法は姑息であり、誤りであると言わねばなるまい。
九十六条の改憲発議条項を緩和することは、万が一、共産党などの革命政権が樹立した場合、天皇条項の削除も容易になるという危険も孕んでいることを自覚すべし。
国柄や国體と皇統を護り抜く上でも、「第一条」に対する共産党の「我々が天皇制に反対していることを以ても総意ではなく、天皇は違憲である」という屁理屈を指弾し、更には、女系天皇に通じかねない「第二条」を議論することにより、現憲法の不敬さと不当性を明らかにすべきであろう。
現憲法は米国の押し付け憲法と言うのは容易い。
だが、現実は大日本帝国(明治欽定)憲法第七十三条による改正であり、復元・改正こそ我が国の執るべき道である。
昭和20年11月3日の公布式に於いて、昭和天皇はこう裁可なされた。
「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」
当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相である。
「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」に当たり、憲法論議を活発化させると共に、先人の智慧の結晶である大日本帝国憲法の復元・改正こそ急がねばならない。
そういう意味では「憲法記念日」ではなく、「新憲法の制定を祈念する日」が相応しい。
現憲法を否定する連中に、その理由を聞けば、「米国から押し付けられた憲法だから」という声が少なくない。だが、米国から押し付けられたものは憲法だけではあるまい。
戦後民主主義にしろ、営利至上主義の経済理論にしろ、戦後の平和や繁栄、或いはファッションや食べ物に至るまで米国製ではないのか。
「押しつけ憲法」がダメなら、米国から押し付けられている全てのもの、我が国に蔓延る米国製の価値観も否定すべきであり、隘路を切り開くにはやはり米国製の憲法を見直す以外には手は無い。
現憲法で得たものは、成否は別として「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」であり、今日の基を築いたと言ってもいいだろう。
また、朝鮮戦争への参戦を回避出来たのも現憲法の御蔭だ。
だが、逆に失ったものの方が断然に多い。
「礼節」「長幼の序」「忍耐・我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」・・・数え挙げたら限がない。
日本国憲法の所為かどうかは分からないが、日本人はいつの間にか利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神など皆無に等しい。
己を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人たる所以であり美徳美風なのだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れてしまった。
想えば、日本は戦前と戦後では全く別な国になった。無条件降伏した日本は米国の51番目の洲になっても不思議ではなかった。
だが、第二次大戦後の帝国主義の崩壊で免れた。
その代わり米国は徹底した教育改革を行った。
その徹底した「戦後民主主義教育」は、意図した以上の効果を上げ、現在もあらゆる処に影響を及ぼしている。
「戦後民主主義」とは、自国を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観だ。
その教育で育った者は国家から恩恵を受けながら、個人と国家を常に対立させ、恰も国家は「人間を抑圧する組織」と見做し、反国家反体制的なポーズをとることが「進歩的」で「文化的」だと錯覚している。
占領下、米国は徹底したのが言論統制を行い、中でも情報発信の中枢であったNHK、朝日新聞、岩波書店が監視下に置かれ洗脳された。
こうした中で誕生したのが「進歩的文化人」と称する新種である。
彼らは米国の指示通りに、国民へ自虐史観を教え贖罪意識を植え付ける。その結果、幼稚な正義感や平和主義を振り翳す「無自覚左翼」が氾濫した。
未だに彼らは米国の洗脳状態から脱却出来ずにいるのだが、いい加減、目を醒まして貰いたいものだ。
米国によって洗脳された親米派の連中が「平和」を唱え、日本を貶めているが、その多くが「反米」を声高に叫んでるのは最早コメディと言う他ない。
「もうあかん、亡国憲法、クソ憲法!」
現憲法を護るも変えるも亡国への道であることに何故に気が付かないのだろう。
護憲派にしろ改憲派にしろ、どちらも「九条」を重要だと認識していることでも分かる様に、目指してる方向が同じことに気付くべきだ。
右翼陣営の中にも一時期よりは少なくなりつつはあるが、「憲法改正」と「自主憲法制定」を一緒くたにしている者も少なくない。
「自主憲法制定や欽定憲法復元改正なんてとてもじゃないが無理。だったら取り敢えず改憲を目指すことの方がベストだ」という声も多い。
日本会議とかがそうだし、自民党も安倍も同じ認識だが、改憲への突破口として「第九十六条改正」を目論み、それ機に党是である新憲法の制定を目指しているのであれば、その手法は姑息であり、誤りであると言わねばなるまい。
九十六条の改憲発議条項を緩和することは、万が一、共産党などの革命政権が樹立した場合、天皇条項の削除も容易になるという危険も孕んでいることを自覚すべし。
国柄や国體と皇統を護り抜く上でも、「第一条」に対する共産党の「我々が天皇制に反対していることを以ても総意ではなく、天皇は違憲である」という屁理屈を指弾し、更には、女系天皇に通じかねない「第二条」を議論することにより、現憲法の不敬さと不当性を明らかにすべきであろう。
現憲法は米国の押し付け憲法と言うのは容易い。
だが、現実は大日本帝国(明治欽定)憲法第七十三条による改正であり、復元・改正こそ我が国の執るべき道である。
昭和20年11月3日の公布式に於いて、昭和天皇はこう裁可なされた。
「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」
当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相である。
「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」に当たり、憲法論議を活発化させると共に、先人の智慧の結晶である大日本帝国憲法の復元・改正こそ急がねばならない。
cordial8317 at 06:24│Comments(0)
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