嘗ての植民地民族にとって、正に昭和天皇は救世主であらされたつれづれなるまゝに、その日ぐらし

2015年04月30日

安倍総理の米国連邦議会上下院合同会議での歴史的演説で感じたこと

 安倍総理が米国連邦議会上下院合同会議で歴史的演説を行った。

 新聞には安倍総理が「痛切な反省」を述べたとの記事が躍っているが、これは「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました」との一節を作為的に報じてるに過ぎない。

 全体的には及第した演説だと思うが、TPPの参加には違和感を覚えるし、「日本はどんな改革から逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道の他、道はなし。確信しています」との言辞に、安倍はやはり自由主義者だったとの確信に至ったのは確か。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである。

 だが、安倍がやろうとしている改革は「未来」が全てであり、これ即ち保守に非ず、完全な自由主義者的発想である。

 安倍は2月の施政方針演説で、JAの農業改革に絡み、岡倉天心の「変化こそ唯一の永遠である」という言葉を引用し、その正当性を訴えた。今回の米国議会での演説はその総仕上げの表明であろう。

 明治ナショナリズムの中で、岡倉天心は的確にアジア情勢を把握し、その中で日本の伝統文化に目を向け、日本文化を鼓吹した。米国追随の安部と岡倉の決定的違いはそこにある。

 岡倉は確かに「変化こそ唯一の永遠である」といったが、原文はこうだ。

 「歴史の中に未来の秘密がある。我々は、我々の歴史の中に、我々の未来の秘密が横たわっているということを本能的に知る。変化こそ唯一の永遠である」

 変化や改革というのは歴史の中に、そのヒントがあるということ。改革もいいが、国柄を失ってしまう様な改革は革命と同じである。

 親米保守派は口々に中共の脅威を煽り、「日本の執るべき道は日米同盟の強化だ」と宣うが、日本の選択肢は本当にそれしかないのだろうか。

 我が国には「親中派」と「親米派」しかおらず、真に我が国體と国益を死守しようとする政治家が存在しないのは政治の未熟さを示している。

 世界で美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は我が国・日本を措いて他にはない。これ即ち、「天皇国日本」という国柄が在るからだ。

 世界中が嘘八百並べても日本だけは絶対にしない。それによって経済成長が鈍ろうとも、絶対に世界の真似をしないという、そういう自信や誇りというものを失ってはならないのだ。

 そういう意味では孤高の日本で良いし、我が国が進む道として「攘夷」や「鎖国」という選択肢もあっても善かろう。

 似非保守派は、「米国を取るか中共に呑まれるか」と究極の選択をしろと言うが、世界の二大元凶は米国と中共であることも知るべきで、何故にその二大元凶に阿なければならないのか。

 昔から、アジアの動乱の原因は米国と共産主義だった。我々はアジアの盟主としてこうした歴史的事実を忘れてはならない。

 幕末の安政5(1858)年、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダ五ヶ国と夫夫、「日米修好通商条約・日英修好通商条約・日仏修好通商条約・日露修好通商条約・日蘭修好通商条約」条約(安政五ヶ国条約)を締結する。

 その後も、ポルトガル、プロシアとも同様の条約を結び、その後、更にスイス、ベルギー、イタリア、デンマーク、明治になってからスペイン、スウェーデン・ノルウェー、オーストリア・ハンガリー等とも条約を締結した。

 これらの条約は、治外法権による「領事裁判権」を承認させられたり、「関税自主権」を認められなかったり、日本にとっては正に屈辱的で不平等なものだった。

 攘夷派は「勅許を待たずに調印した条約は無効」としてこれを認めず、独断専行した井伊を厳しく非難。その結果、朝廷と幕府(公武)間の緊張が一気に高まり、「安政の大獄」や「桜田門外の変」などの事件が勃発するに至った。

 明治維新以後、新政府の最重要課題の一つとして条約改正交渉が各国と断続的に行われたが、その進展は捗捗しくなく、条約の不平等な部分が解消されるのは、実に日露戦争大勝利後の明治44(1911)年のことだった。

 不平等条約の締結は、外交圧力(軍事力)に屈した結果だが、TPPも正に「平成の不平等条約」であり、米国の外交圧力に屈しながら、「この道の他、道なし」などと宣ってみたところで実に空々しい。

 TPPへの参加は、米国への忠誠と更なる属国化に過ぎない。

cordial8317 at 07:28│Comments(0)

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