2015年04月22日
理不尽な嫌がらせ以外の何物でもありません。これが右翼人のやることとは思えません(木村三浩)

先日、横浜の某大物右翼と関係者とのFBでの交流を止めたのは周知の通り。これに対し愚生との間で確執があったかの様に捉えている方々がいるが、別に確執なんぞありませんので悪しからず。
唯、氏には木村三浩の友人として、また右翼の先輩として、誰よりも先んじて木村を諫め、苦言を呈するべきだったと今でも思っているのは確かだが。
その木村が某右翼団体から抗議の街宣をかけられ、また参画していた「民族革新会議」から要職を解かれた。
木村は右翼からの街宣に対し、一水会公式サイトで反論している。http://www.issuikai.jp/kenkai20150417.html
街宣の主旨は以下のものです。
1.先の鳩山由紀夫元首相とともにクリミアを訪問した、私、木村三浩に対する抗議。
2.民族革新会議議長の犬塚博英氏(一水会創設メンバー、OB)が創設に関わった一水会の伝統を木村が汚しているというもの。
3. 木村は右翼を辞めろという主張。
これらに対し木村は次の様に答えている。(要旨を「」で抜粋)
「鳩山氏とクリミアに行ったことについては、一水会フォーラムでも述べました。私はとんでもないことだと思っておりません。新右翼運動の画期的な運動として評価をして下さる方も多くいます」
要は、木村は「新右翼」であって、右翼ではないのだが、木村や鈴木邦男を「右翼」とするマスコミや右翼団体の彼らに対する認識が間違いなのだ。
「我々の政治的目標は戦後体制の打破を目指すことが主眼であり、その観点からすれば対米自立の一致点を持った認識と行動はむしろ積極的に実施されなければならないものであると考えます」
彼らの目的は「反米」と「憎米」が主眼であり、反米でさえあれば相手が「反天皇」であろうとも連携するということ。
「鳩山氏に関する過去の言動などに対する批判は確かに存在します。しかし新右翼の立場として情報を提供することによって発想や考え方が変化する可能性も大いにあります」という。
正に己を勘違いし、「新右翼の立場として情報を提供することによって発想や考え方が変化する可能性も大いにあります」とは本末転倒。過去の言動に抗議し、諫めることが先ではないのか。
2.について木村はこういう。
「犬塚博英さんは一水会の創設メンバーであり、OBであります。しかしながら、ここ三十年以上における一水会の活動運営は世代が変わって、様々な方に支えられて築いてきています」
要は、創設したメンバー、初代の御歴歴のメンバーなんぞ関係ないという認識を披歴し、活動資金の基である一水会機関誌「レコンキスタ」の部数の伸びも自身の実力だと言わんばかりにこう述べる。
「顧問をやっていただいた犬塚さんからは昨今、鈴木邦男顧問に対する意見の相違で、論争を展開することも求めておりました。しかし、これまでご両人が様々な会合で臨席することもありましたが、会話があまりなされませんでした」
そう、愚生が右翼を「なあなあの世界」と断じるのはこういうことだ。
木村に限らず、友人や周りにいる者が軽挙妄動に奔り、過ちを犯す様なことになれば、苦言を呈すのは当然の事だと思っているが、右翼陣営はその認識に乏しい。
「常に直諫なくば」という吉田松陰の言葉がある。
日頃、上司や友人に対し何も言えない者は、いざという時も使い物にはならないし、友人や知人、また門下生としての資格はない。
最後に木村は述べる。
「どうも今回の街宣は、言い掛かりの類いであって、何か裏があるように思えてなりません」「その根にあるものは理不尽な嫌がらせ以外の何物でもありません。これが右翼人のやることとは思えません」という。
まぁその「裏」とは何なのか分からないが、最後まで自身の軽挙妄動がこういう事態を招いたという認識はなく、街宣した右翼を批判し、あくまでも「我々は対米自立・国家革新の活動を展開します」という。
確かに、我が国の米国追随は目に余るものはあるが、戦後の冷戦下、日米安保条約の恩恵を享け、我が国の国防費はGNP1%以内という破格の予算で済んだのも確かだろう。
多くの予算が経済復興や民需に回り、その結果、奇跡的な高度成長を成し遂げたという事実まで全てを無視するのだろうか。
「やはり天下国家の思想である以上、それに見合った振舞いが必要になっていくと思っております」というなら、先ずは米国に感謝したら如何か。
尤も、「もう十分にその対価は払っている」と反論するのは目に見えているが(笑)
我が国が対米追従に陥ったのは米国の責任に非ず、我が国の政治家の無能と不作為であり、その政治家の中心的人物が鳩山一族ではないのか。
木村への街宣に「裏」があるのなら、木村の「裏」は鳩山の資金だろうし、そのおこぼれに預かろうとする右翼がいても可笑しくはない(笑)
木村は嘗て朝鮮総連のビルを落札した池口恵観阿闍梨のボディガードを務め、「拉致問題の解決を図る」かの様なことを宣ってたのは記憶に新しい。
だが、池口や鈴木らとと北朝鮮を訪問したのはいいが、拉致問題の話しはなく、「喜び組」の接待を受けて帰国しただけで、結局、池口の宗教団体「最福寺」も資金難でビルの買い取りも出来なかったことは皆さんが知る通り。
過去の木村の発言を見るまでもなく、全てに於いて詭弁であり、自惚れから発する我田引水的なものばかりで、そこに国を想う心は無い。
木村のこの問題も、結局はなあなあで終わるのは目に見えている。

それにしても木村三ちゃんがヅラだったと聞いて驚いたのだが、本人から連絡があり、断固として否定していたことをここに報告致します(爆)
cordial8317 at 07:12│Comments(4)
この記事へのコメント
4. Posted by まきまき 2015年04月27日 19:49
Kさんの元同志まきやすともさんの証言
http://makiyasutomo.jugem.jp/?cid=34
http://makiyasutomo.jugem.jp/?cid=34
3. Posted by 霊山愛郷日記 2015年04月24日 20:20
大変な事に巻き込み申し訳ございません。ズラじゃないならノリ付けか奮発して植えたかですよ。絶対に。
2. Posted by 佐久間五郎 2015年04月24日 18:28
木村三浩本人から連絡あり、決してヅラではないということです。本文訂正させて頂きました(笑)
1. Posted by 霊山愛郷日記 2015年04月22日 14:02
何にせよ半島系のてっぺんが尖った頭蓋骨ゆえ三十代半ばの時に既に後ろがキてましたから。今考えると前髪下ろしてたのはデコも相当な状態だったんだろうと。
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