終身保険に入ってて「一日一生」ってのもどうなのよ(笑)仁侠道の精神が欠落してる暴力団を排除しよう!

2023年01月26日

「右翼の敵は右翼に在り」とは田舎にいるとホントよく分かる(笑)

 今から14年程前、防共挺身隊(防挺)の総隊長に就くも運動方針の違いから前任者の對馬則政と諍いになり引退を決意した。端折って言えば、組織としてヤクザの傘下団体や舎弟分になってまで右翼活動をする気は全く無かったということだ。

 對馬はその2年前、弘道会相談役の某組長の舎弟頭に納まった。その組織は「二足の草鞋」は厳禁ということで右翼を実際には引退したにも拘らず、院政を敷こうとあれこれと工作する。 指示しているのは對馬の兄貴分である平重というヤクザ。

 平重は10年前の1月29日、北海道登別温泉のホテルのエレーベーター内で射殺された。山口組・山健組・健竜会系梁取羅城会の元若頭で武闘派ヤクザだった。

 本来ならば對馬との三代目就任の際に交わした約束では、愚生が45歳の時に総隊長に就く予定だったが、平重が前任者を言い含め禅譲をずるずると先延ばし。

 あの頃からだろうか、組織内に軋みが出て来た。 引退する数ヶ月前、友人から渓流釣りを教わりすっかりハマった。山に入れば連絡は付かない。ヤクザ傘下になれば午前と午後の定期連絡は欠かせず、前任者らに「定期連絡は出来ない」と断った。

「なに~、コラッ!総隊長を取るのか、渓流釣りを取るのかどうするんだ、お~?」と責められるも、二つ返事で「渓流釣りにします」と返答した(笑)

 對馬の「おい、弘道会をなめてんのか、コラっ!」との言い分に厭きれ、「なめてはいないが、来るなら来い!」と言って電話を切った。連絡はそれっきり。

 その後に愚生への「除籍通知」が出された。その通知にはあれやこれやと綴られていたらしい。まぁ右翼活動家として後ろ指を指される様なことは無いし、除籍通知を出される理由も無いが、それらを諒として隠遁生活をすることにした。

 除籍通知が出された後、對馬は愚生の義兄弟でもある稲川会紘龍一家組織委員長(当時)の梅本武年に「佐久間を復帰させては貰えないか」と依頼。愚生は組織には戻るつもりもないし、右翼団体への魅力も失ったし、申し入れは鄭重に断った。

 對馬からの梅本組織委員長への申し入れでも分かるが、愚生への除籍通知は無効なのだが、未だのこれを気にする右翼人がいるのは悲しいやら情けないやら。

 愚生が除籍された後、元隊員らへ続々と破門状やら絶縁状が回された。それらを出した元隊員のヤクザも結局はヤクザで通用する筈もなく全員トンズラ(笑)

「礼節を弁えない」だとか、「犬畜生よりも劣る」だとか、對馬自らの器量不足を自ら証明する様なもの。破門状や絶縁状は出すべきではなかったと今でも思う。

「絶縁ゆうたら死刑やど。死刑にするほどそいつがヤクザとして悪いことしたんか。お前の気まぐれで世の中通るほど甘いないど。絶縁にした若い衆が多い程、お前がそんなしょうもない若い衆を連れとったゆうことになるんやど」とは竹中正久。

 結局、對馬がその年の暮れに肝臓癌で幽冥境を異にし、現在の総隊長は実績も何も無いトラック運転手で無線同好会のオッサン。初代(福田進)も二代目(早坂光夫)も知らない者が総隊長だというのだから、防挺の活動も儘ならないだろう。

 現役時代は右翼活動が趣味の様なものだったので、防挺を引退した後は、趣味の釣りを始め色々と興味を注ぎ好きなことをやってる。右翼の基本である「よく読み、よく書き、よく喋る」+「よく呑み」は忘れることなく実践している(笑)

 ブログや新聞投稿、facebookなども右翼としての微かな啓蒙活動の一環。中でも新聞投稿は一般の方々が読むので、記事に賛同して連絡をくれたりして心強い。

 他の右翼団体の仲間からも、有難いことに「田舎で埋もれているのは勿体無い」「どうにか復帰は出来ないものか」という声を頂きもするし、誘われもする。

 大手暴力団大幹部と昵懇の地元の某事務所の会長からも、「俺が〇〇親分(若頭補佐)に言ってやろうか?」と言って貰ったりもしたが、嬉しい反面、右翼団体自体に期待することはもう何も無いし、組織に興味も無いのでやんわり断った。

 山口二矢は既存の右翼や赤尾敏のやり方に絶望したし、野村秋介も右翼絶望派だった。三島由紀夫は既成右翼を毛嫌いしていたのは有名な話し。この三人には遥か遠くに及ばないが、愚生も右翼への絶望という点では共鳴することが多々ある。

 クリミヤ半島に鳩山由紀夫と同道した一水会会長の木村三浩に対してもそうだが、ああした愚行に対し右翼から抗議街宣されたのは知ってるが、直接会って諌めた声は聞こえて来ない。右翼御得意のナアナアさの為せる業だろう(苦笑)

 そういう相手の過ちに対して苦言を呈したり、ケジメを付けない右翼というのがホント嫌いだ。右翼はいつからこんなだらしない勢力に墜ちてしまったのだろう。

 新右翼や、なんちゃって右翼やインスタント保守は、イデオローギーが違っても、或いは、意見が対立していても人間として付き合うのは別だと言って憚らない。

 イデオロギーという言葉だとカッコよく聞こえるが、要は、分かり易く言えば「尊皇」か「反天皇」ということだ。「天皇」に対して根本的価値観が決定的に隔絶している者と、人として付き合えるかといえば愚生には到底無理なことだ。

 こんなインチキ左翼と付き合うのなら、人間的に立派なノンポリと付き合った方が好い。まぁ、新右翼という世界と愚連隊右翼と言われた防挺で育った者の違いと言えばそれまでだろうが、昨今の聞き分けの好い右翼にはうんざりする(笑)

 愚生の場合、嫌いなヤツとは目も合わせないし、挨拶もしないし、波長は合わせないことにしている。若い頃ならいざ知らず、何が悲しくて話を合わせなきゃならないのか。 右翼とはそれで好いと思ってるし、削げ者じゃない右翼に価値は無い。

 野村秋介は遺作となった「さらば群青」で、「日本を切に愛する若き民族派諸君の為に」として、「五つの敵」というものを遺している。「東京裁判史観という敵」「魂なき繁栄という敵」「まやかしの平和という敵」「権力悪、そして巨大な不条理という敵」「わが内なる敵という敵」正に「わが内なる敵」がそこに存在する。
 
 まぁ、「敵」といえば「敵」なのだろうが、右翼が右翼をやっかんでるいうのは確かなことで、田舎に住んで遠巻きに右翼陣営を見てると好く分かる(笑)

 その昔、木村三浩の「右翼は終わってねえぞ」を読んで大いに共鳴もしたものだが、今の右翼を見てると「右翼は終わった」としみじみ感じる。右翼の世界も「玉石混交」だというが、その「玉」に中々出会うことはない、というか玉はいない。

 数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り集りの道具として使用してる自称右翼も少なくないが、それはそれで好いと思う。資金不足で宣伝車さえロクに持てない右翼が殆どの時代に、右翼の怖いイメージを世間に植え付けてくれてるのだから有難いことだ(笑)

 愚生からするとその街宣車が宝の持ち腐れになってたり、贔屓の引き倒しの道具になってたり。そんな右翼の現状ではあるが、世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う純正右翼や本流右翼も極僅かだが存在する。

 福田素顕翁(防共挺身隊・初代総隊長福田進の父)は、「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ」との言葉を残してこの世を去ったが、民族派、右翼を自称する者の中で果たして何人が「国民の模範」と胸を張ることが出来ようか。

 野村秋介は著書「塵中に人あり(旧・汚れた顔の天使たち)」の中で、右翼の在り方を「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と示現している。

 我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが、国民の模範に成れないが、塵の中でもキラリと光彩を放つ、そんな右翼浪人でありたいものだ。

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cordial8317 at 19:42│Comments(0)

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