東電旧経営幹部に責任を問うなら菅直人も逮捕せよ!国民を蔑にする「官賊」「政賊」「労働賊」の三賊を糺さねばならない!

2023年01月20日

言いたがり屋は聞き齧り屋とはよく言ったもので

 坂本龍馬は、西郷隆盛をして「西郷という男は大きな太鼓だ。小さく敲けば小さく響き、大きく敲けば大きく響く」と、こういう人物であると喩えたという。

 どうもイマイチよくは分からないが、その敲き様で返って来るものが違うということだろうが、要は、敲く側や相手側の器量も大事だということだろうか。

 坂本龍馬の自慢にも感じなくはないが、西郷という人物はその昔は高く評価していたが、自分で調べた限りでは、巷間囁かれている様な傑物では無かったと思う。

 例えば、勝海舟との対談で江戸城開城したのに、明治維新を完結させ建国を急ぐべきところ会津藩や諸藩の制圧を理由に盗賊の如きの乱暴を働いていることだ。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、また自分の死に際でさえ実に潔い人物だったのは確かだろう。

 一方で意外に繊細な面もあり、桜田門外の変での水戸藩士との起請の反故という狡猾さを備え、慶喜公や会津藩糾弾に見られる様に執拗さも垣間見れる。

「南洲翁遺訓」などを読めば、西郷の指導者としての度量の深さと無上の高潔さを感じ取れるが、歴史的偉人の言葉というのはその多くが自戒であり、西郷が好んだ「敬天愛人」の思想もまたそういった生き様の裏返しの様にも思えてならない。

「小人の学問は耳より入り口より出ず。君子打たねば響かぬなり。打てば響くなり」という。聞き齧ったものというのは兎角、直ぐ話したくなるものである。

 学問というのは、本来自分自身の向上の為にするものだが、小人というのは学問(それほどのものではないが)を売り物にする輩が多いこと多いこと。

 最近の保守ブームに乗っかって、それらに媚びた記事を書いては売り上げを伸ばすことに躍起になってるが、これを売文屋や営業保守と言わずして何という。

 自称・愛国者や営業保守らは、頻りに朝日新聞などをバッシングするが、朝日もまた株式会社であり、読者のニーズに合った主張をして売り上げを伸ばすのは当たり前のことではないか。要は、営業保守らとやってることは変わりはない(笑)

 政治家というのはホンネは出来るだけ出さない方が好いとされている。それは日本の政治家の伝統でもあるし、政治家のウソには馴れっこになってしまっている。

「ウソは泥棒の始まり」「ウソを吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘というのは悪いものだと教わって来たが、「ウソは政治家の始まり」というのは国民にとっては笑えない。政治家というのは「ウソも方便」というのを優先するが、この「ウソ」には、相手の立場を慮り、思いやりが込められたものでなければならないのだ。

「ウソは世情の宝」とか、「講釈師見て来た様なウソを吐き」とか、ウソというのは世間を和ませる気が利いたウソが好い。「商人は損と求めて蔵を建て」とか、「これでは儲かりません」と言いながら大きな蔵を建てるなんてのはよくある話しでもある。「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑えるウソの一つだろう。

「明後日紺屋に今度(今晩、明晩)鍛冶」とか「医者(問屋)のただ今」とか「坊さんのおっつけ」も同義語だ。まぁ、愚生の実家のラーメン屋でも、出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じで笑えるウソだ(笑)

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんてのもあった。まぁ今でいうとキャバ嬢やホステスか。「手練」とは人を操り騙す技巧のこと。ホステス相手についつい熱くなってなんて、そこの貴方も思い当たる節はありませんか(笑)

「妄語戒(もうごかい)」なんてのはウソの典型の様なものだと思っている。釈迦牟尼も「地獄」「極楽」なんていうウソを吐いて民衆の心に安らぎを与え、キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救った。好いウソの典型だわな(笑)

 愚生は神道ではあるが、極楽浄土というのは死後の世界ではなく現世に在ると思っている。如何にして周りにいる自分より能力的に劣る者を助け、悩みや難渋している人を如何に救い施してあげられるかが極楽浄土なのではと単純に考えている。

 ウソにはいいウソと悪いウソがある。自分の為に吐くウソは感心しないが、周りを安心させる様な「いいウソ」は吐いても差し支えはないのだ。そんなウソも吐けないのは正直というものではなく、バカ正直というやつで、世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんな馬鹿正直な人も最近はめっきり見かけなくなった。

 まぁ何事も一面な見方や考え方ではなく、ホンネやウソに隠された真実や優しさなどを見抜ける能力を身に付けることが肝心。それはやはり場数を経験することだが、場数とはバカな数。つまり失敗から生み出される知恵と経験がものをいうのだ。

 洒落たウソも吐けない人や、遊び心の無い人というのは自分にも余裕がなく、付き合う方も窮屈で堅苦し良いので魅力はない。以前、FBFで畏友とも言うべき方に教わったのだが、「やまとことば」にも、「うそ」という言葉があるそうだ。

「うそ」「あそ」「あそぶ」は同じ意味を成し、阿蘇山のカルデラの様に真ん中が空っぽの状態を言うらしく、「あそぶ」は、仕事から離れて頭を「空っぽ」にすることだと教えられた。遊ぶとは、単に趣味などに興じることだと思ってたが、なるほど、遊ぶというのは、「頭を空っぽ」にすることと知って、思わず膝を打った。

「うそ」は頭が空っぽな状態。日本語素晴らしさは、相手の「うそ」(空っぽの発言)を主体である自分が、好意をもって受け止める、という言葉だというから、実に奥深い。皆さんも、シャレの効いたウソをたまには吐いてみては如何ですか(笑)

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cordial8317 at 06:06│Comments(0)

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