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2015年01月16日

小山田遺跡で飛鳥時代中頃の巨大な古墳の墳丘の一部と濠跡が見つかる

 小正月の昨日、秋篠宮佳子内親王殿下が成年皇族となられたことを、多摩陵と多摩東陵、武蔵野陵と武蔵野東陵に参拝し御報告なされたという記事が載っていた。

 同じ紙面には、奈良県明日香村川原の小山田遺跡で、飛鳥時代中頃の巨大な古墳の墳丘の一部と濠跡が見つかり、舒明天皇との墓陵の可能性を語る研究者もいる。

 橿原考古学研究所に拠れば、一辺50メートル以上の方墳と推定され、蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳を上回り飛鳥時代最大級の規模。濠は墳丘北側で東西方向に直線状に延び、長さ約48メートル、上部幅約7メートル、深さ約1.2メートル。

 小山田遺跡の底部と北側斜面は川原石で石貼りが施されいて、南側では、板石状の榛原石の切石などを階段状に積んだ墳丘の一部も見つかったという。

 遺構の状況や付近の地形などから、古墳は馬子の墓とされる石舞台古墳より大きい一辺50メートル以上の方墳で、下段部が榛原石で装飾されていたとみられる。

 薄茶色の室生安山岩の切石で装飾されており、規模や築造時期などから第34代の舒明天皇の初葬墓で、日本書紀に登場する滑谷岡陵の可能性が高いとみている。

 一方で、発掘場所が大豪族・蘇我邸宅があった甘樫丘に近く、蘇我蝦夷・入鹿親子の墓として日本書紀に登場する双墓のうちの蝦夷の大陵と考える研究者もいる。

 中々浪漫を感じるニュースではあるが、こうした遺跡調査に止まらず、仁徳天皇陵の陵墓を始めとした歴代天皇陵の調査を目論むことは明らか。学匪どもは天皇陵の発掘調査を「史跡」だとして、然もその研究が研究者として当然の権利の如く主張しているが、御陵や墳墓発掘の真の狙いは皇室の否定と解体そのものに在る。

 ピラミッドや兵馬俑などの王の墓と同様に、天皇陵をも発掘の対象にすべきだとの意見が多いというが、御陵や墳丘の発掘までもが許される事態となれば、尊厳は完全に損ねられる自体になることは必至であり、断じて許してはならない。

 エジプトや支那の場合は既に滅亡した王朝の墓だが、天皇陵は現存する皇室が守るべきものであり、祭祀の場でもある。ピラミッドや兵馬俑などとは全く異なる。

「御陵の周辺部が史跡に指定されてない為に、宅地造成で埋め立てられたり、破壊されたり危機的状況であり、国が直接保護するべきだ」と、如何にも御陵の荒廃を嘆いている様な意見を振り翳してはいるが、彼らの狙いは外に在る。

 そのトリックが「史跡」という言葉だ。「史跡」になれば発掘は可能になるのを承知しての確信犯であり、学匪どもの尤もらしい屁理屈も奸智奸策に過ぎない。

 彼らは目的は、立ち入り調査という「権利」を確保し、発掘という「権利」の実行を目論むことは火を見るより明らかである。そしてその結果を、「科学的証拠」として巧みに利用し、我が皇室の歴史を批判、誹謗するかが目的なのだ。

 御陵や墳墓などの発掘の真の狙いは、天皇及び皇室の否定と解体そのものに在り、左翼活動家が目指す「天皇制廃止運動」の一環と断じても過言ではない。

 朝鮮や支那では、墓を掘り起し、死者に恥辱を与えるというのは珍しくもないが、「墓を発く」「死屍に鞭打つ」という発想は、我が国では死者への最大の非礼であり糾弾されるべき蛮行だ。 御陵は断じて文化財や史跡として考えるべきものではなく、況してや民間調査などという対象になるべきものでもない。

「御陵を世界遺産にしよう」などというのは、日本人の精神的幼稚さを示すものの一つである。御陵とは国民が崇拝し、伏し拝むべき神聖にして侵すべからざる聖域である。 戯言を抜かす学匪どもと、それに与する左翼勢力の蛆虫どもを一掃しよう!

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cordial8317 at 08:05│Comments(0)

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