「日本平和憲法9条をノーベル平和賞に推薦する韓国委員会」が組織されたってよ(笑)刮目して拝読せよ!東条英機遺言書全文

2014年12月22日

「死刑制度」の本義とは死刑囚に対する大慈悲でもある

 秋葉原無差別殺傷事件の上告弁論で、弁護側は加藤智大被告の情状酌量を訴え、「死刑判決は破棄されるべきだ」と述べ、結審した。最高裁まで上告する権利はあるが、最高裁は最高の判決を出す処ではなく、現憲法との違法性を判断する所。

 歩行者天国にトラックで突っ込み3人を殺害し、更にはナイフで4人を刺殺した犯人の何が憲法の、どの条文に触れるというのか。トラックで突っ込み、無差別に7人を殺し、10人に怪我を負わせるということは精神的にまともではないことは誰でも分かる。だが、そうした精神的理由をして死刑を回避しようなどとは本末転倒。

 愚生は、如何なる理由や殺した人数ではなく、「人を殺めた場合は喩え一人であっても極刑に処すだ」と思っている。「一人なら無期、二人以上なら死刑」という、過去の判例を基準とは止めた方が好い。人の命は皆平等なのだから。

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」とは三島由紀夫。大事にしなければならないものは、三島が言う通り肉体より魂であり、精神性である。人権派を自任する弁護士や死刑廃止を訴える人は肉体だけを守ろうとする。

 左翼に被れながらも、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に嵌ってるのも御粗末だが、安っぽい感傷に浸って悦に入ってるとしか思えないし、滑稽にも見える。まぁこれは、死生観の違いなのだろうが、残虐な行為で殺人を犯した者が、死刑廃止で国法に由り生命を保証されるというのも如何なものか。

「死刑制度」とは、死刑囚へ懲罰というより神が与えた大慈悲である。他人を犠牲にした犯罪への相当の審判であり、それは無駄に生きて来た人生にピリオドを打つ為の優しさでもある。「生」に拘るより、「死」を以て償うべきだと思う。

 日本人とは何事も潔さが肝要である。加藤智大にしろ他の死刑囚にしろ、「殺したい」という安直な衝動に駆られて実行した訳で、今更、命乞いとは情けなや。

「心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかり恐れている人で日本中が占められているならば、無事安泰であり平和である」という言葉も三島由紀夫。「死刑論」一つでも、賛否両論・喧々諤々の論争が繰り広げられる。だが、こうした答えの出ない論争を見てても日本というのは「平和なんだなぁ」と熟熟実感する。

「平和ボケ」とは、高度成長からバブル時代にかけて、金儲けや飽食に狂奔してきた世相や空想的平和論を弄ぶ世代を揶揄した言葉である。戦後民主主義教育の洗脳から未だに目覚めることのない団塊の世代や無自覚左翼にこんなのが蠢蠢している。「平和」「人権」「死刑廃止」「反原発」とは、そんな連中の共通のもの。

 明日12月23日は天長節だが、東条英機他、所謂・A級戦犯とされた7名の方々が死刑執行された日である。「戦犯」の汚名を着せられた彼らはその死を諒とし、死を以て罪を償ってくれたのである。東京裁判の不条理を検証しなければならない。

「死刑制度廃止」を訴える陣営からはこの死刑に対する不当性を語られたことはない。だが、この処刑こそ人道に反するもので人権無視の暴挙ではないのか。

 死刑執行前日の昭和23年12月22日夜、東京巣鴨に於いて、教誨師の花山信勝師の前で東条英機閣下は遺書を朗読した。その心境察するに余りある。

 今こそ我々は、東京裁判の不当性を明らかにし、未だに「戦犯」との汚名を着せられ続けている英霊の方々の名誉恢復を急ぐと共に、先の大戦で犠牲になられた方々の精神性及び魂から発せられた思いを後世に伝えて行かねばならない。

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cordial8317 at 05:37│Comments(0)

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