米国は「正義」を振り翳すがそこに正義はない!安倍首相が「地方創生で経済成長」を訴えるが・・・

2014年09月29日

そうか、我が国を貶め続けた土井たか子が死んだか・・・

「駄目なものは駄目!」と歯切れの良い演説で愚かな大衆を惹きつけた土井たか子、「反自民」のシンボルとして担ぎ出され、「マドンナ旋風」が吹き荒れた第十五参院選では社会党が躍進、その結果、与野党の勢力が逆転。これを機に日本の政治は益々衆愚政治に陥いることとなった。

 政治家は大衆に媚び諂い、「国民の目線に立った政治を行う」などと平然と公言する様になったのはその現れであろう。「国民目線」とは国民の平均値のことを指すのだろうが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険であり、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創ることではない。

 また、「国民の目線」とは、ワイドショーに煽られた平均的意見であり、マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、自分達の主張こそが「正義であり、民主主義である」との主張を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続ける。だが、政治が国民目線に立った時、必ず国は滅ぶというのは世の常である。

 何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

「マドンナ旋風」にしろ民主党の政権交代にしろ、圧倒的支持を得た民主党が失脚したのも、自民党の政権奪回にしても、その全てが多くの国民の安っぽい風潮から支持されただけで、言い換えればひと時の気紛れでしかない。

 我が国の首相がコロコロ代わってきたのも、衆愚政治の象徴でもあり、その元凶は国民大衆を煽る低能マスコミの影響であるのは言うまでもない。

 政党支持率も、マスコミの気紛れな報道で左右されてしまう訳で、逆にマスコミに媚びれば人気も出る。これは、我が国の政治がマスコミに煽られた国民の顔色一つで決まるという大衆迎合主義に陥ったという証左であり、危険な兆候である。

 マスコミというものは、報道するものが見せたいものであり、誘導したいもので、報道しないものが国民に知らせたくないものなのだ。

 現在のニュース報道やワイドショーを見ても、騒ぎ立てれば立てるほど、本来報道しなければならない問題から目を背け、大衆を誘導しているのではなかろうか。

 マスコミや左翼勢力らは「知る権利」を叫ぶが、「国民の知る権利」を侵しているのはマスコミ自身の様な気がしてならない。

 巨大な洗脳装置、誘導装置がマスコミであり、マスコミの垂れ流す報道を疑いもせずににどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者なのである。マスコミが頼りにならない時代に於いては、何事も自分の目と頭で考えることが大事である。 

 外交にしろ何にしろ、問題が起これば、その萌芽は「日本に在る」と貶し、それをマスコミ御用達の言論人が煽り、それらを疑いもせずに尻馬に乗っかって大騒ぎする大衆のこうした構図をどうにかせなばならない。

 我が国のマスコミというのはオチョクリに乗っかって何でも腐すが、そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと錯覚している。こうした「低能ジャーナリズム」を糺すことが、政治を建直すことに繋がる近道でもあろう。

 我が国の政治が「三流」と言われるのは、大衆に媚びる政治を改めないことが問題であり、政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。

 土井たか子がその昔、何かのインタビューで、「幼い正義感から社会主義者としての道を選んだ」と語ったことを思い出す。この言葉を甚く感じ入ったのは随分前のことだ。永田洋子や坂口弘ら左翼活動家にしろ、同じ思いだったのではなかろうか。

 何故ならそういう愚生もやはり「幼い正義感」から右翼の道を歩み、そうした疑問を打ち消しながら邁進し続けて来たことも事実だからだ。

 愚生も、アングロサクソンとして生まれていれば敬虔なカトリック教徒として国に忠誠を誓っただろうし、イスラエルに生まれていればユダヤ教徒になっていただろう。イスラムならウサマ・ビンラディンと共に行動していたかも知れない。

 つまり、宗教や思想信条というものは、結局、何時の時代に何処で生まれたかの問題でもあると思う。山川草木、存在する全てのものに八百万の神が宿っている日本という国に生を享け、日本を愛し、日本の歴史や伝統、文化を護りたいと思うのは日本人なら当然だろうが、土井らに欠落してたものはそうした大和心である。

cordial8317 at 09:44│Comments(0)

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