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2014年09月19日

太平洋に浮かぶ小さな独立国「パラオ共和国」を知っていますか

 天皇皇后両陛下は戦後60年にあたる平成17年、サイパンの地を巡幸遊ばされた。パラオ歴訪を検討されたが、受け入れ態勢が整わないなどとして見送られた。

 戦後70年となる来年、戦没者慰霊の為に先の戦争で激戦地となったパラオ共和国など太平洋諸島の国々を訪問される希望を示されており、両陛下の歴訪を宮内庁が検討していることが報道された。パラオ共和国は太平洋の浮かぶ小さな独立国だ。

 第二次世界大戦時には太平洋戦争のマリアナ・パラオ諸島の戦いに於いて「ペリリューの戦い」の中心地となり激しい戦闘が行われた地でもある。

 歴代大統領には「ナカムラ」という名前の人もいる。面白いことに、「クニオ」とか「マツタロウ」いった日本人風の名前が目立つ。これは、近代社会に仲間入りさせてくれた日本への感謝や愛着からだという。

 このパラオ共和国の国旗は「日の丸」と同じだが、白地ではなく青地に、やや中心より左にずれた黄色の丸である。何故このような国旗になったのだろうか。

 ドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦後、日本の委任統治領となった。こでの日本は地元住民に厳しく接するも、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残し、パラオの人々に多大な信頼を受けたのである。

 パラオの人々は今でも口々に「日本は厳しかった。しかし、我々に農業と、真面目に働くこと、そして嘘をつかないことを教えてくれた」 と語る。

 第二次世界戦末期、約4万2000人の米軍が上陸したのは、昭和19年9月15日。中川州男大佐率いる約1万2000人の日本軍が、迎え撃つ。

 島民は別の島に退避していたが、米軍がパラオに迫ると、驚くことにパラオの人々は「我々も日本人と一緒に戦う」と決意したという。しかし、民間人に被害が出ることを懸念した我が国は、その申し出を許可することは無かった。

 日本軍はそれまでの戦法を改め、要塞化した洞窟陣地などを利用しゲリラ戦法を用いて持久戦に持ち込み、圧倒的な戦力を誇る米軍に大打撃を与えた。

 この戦いは実に11月25日まで続いた。米国太平洋艦隊司令長官ニミッツも驚嘆した、この組織的な抵抗と戦術は、後の「硫黄島の戦い」へと引き継がれて行く。

 因みに「クニオ」とは、この中川大佐の名前であり、如何に慕われていたかが理解出来よう。この戦争で命を落した日本人を、パラオの人々は泣きながら丁寧に埋葬した。日本人遺族が何時来ても良い様にと墓の掃除は今でも欠かさないという。

 戦後パラオは、1994年の独立まで、アメリカが50年間統治したがパラオの人々の心に残っているのは「日本人」だったのだ。数年間の日本の統治が、パラオの人々の心に残したものが、それだけ大きかったということだろう。

 先人の偉業を感謝せずにはいられない。来年、終戦70年の節目に天皇皇后両陛下がこの地を巡幸遊ばされる。異国の地で草生す御霊を鎮め、両国の友好が更に深まることを願って止まない。

cordial8317 at 07:22│Comments(0)

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