野村秋介には朝日瓦解の足音が聞こえてるのではなかろうか太平洋に浮かぶ小さな独立国「パラオ共和国」を知っていますか

2014年09月18日

同級生の葬儀に参列し、あれこれと考えてみた・・・

 同級生の葬儀告別式があり参列してきた。30人ほどのこじんまりしたものだったがいい葬式だった。子を無くした親の悲しみを目の当たりにし、また同級生による弔辞も涙を誘った。それにしても冷たいのは同級生らだ。自分を含め男子3名、女子5名だけ。町内や近場の連中も来ないとは不義理なヤツらだ。

 高校を卒業し、看護婦となり所沢の病院に勤務、娘二人を育てあげた。早めに治療すれば好かったものを、我慢強い性格が災いして救急搬送され入院。診断は肺炎だったという。自ら119番通報したそうだ。

 看護婦という仕事柄、自分の尋常ではない異変を感じ取ったのだろう。そんな娘を両親や子供らが見舞い、懸命の看護の甲斐なく幽冥境を異にした。

 所沢から遺体を乗せ、故郷の小浜に帰り葬式をすることに。御両親や子供らの悲しみ、心境は如何許りか。故郷の友人は皆、冷たい。今日参列した友人の中で地元の友人は1人だけ。皆、仕事もあるだろうから、昨夜の通夜には来たのだろうと葬儀屋の同級生に尋ねるも、3人だけだったとのこと。

 これじゃ過疎化になるのは当たり前の様なきがする。故郷に戻りたいという憧憬は、所詮は幼い頃の夢幻に過ぎず、現実はこんなものなのだろう。

 式は浄土真宗で行われた。浄土真宗は「死」は「穢れ」ではない。一般に言われる「ご冥福をお祈りします」というのは「死後の幸福をお祈りします」という意味で、浄土真宗では使用しない。キリスト教も同じ。「哀悼の意を表します」「お悔やみ申し上げます」或いは「御愁傷様でした」と言い換えた方が好いのだが、弔電の多くは「ご冥福をお祈りします」との決まり文句ばかりで違和感を感じた。

 愚生は神道だが、仏教の中では「華厳経」に興味があるというか、あったというのが正しいか。「華厳経」の難しいことは分からんし、極めたいとも思わないが、その教えは「一瞬の中に永遠があるという『一即一切』『一切一即』を説く」先日、詳しく知りたいと思いネットで調べてみた。教義経典がやたら難しく興醒め(笑)

 新興宗教や宗教の教祖や弟子らが単純な教えをワザと難しくしてるのではと勘ぐっしまうし、熱心な信者らも、やたら難しい言葉を羅列しているが、当の本人は本当に理解してるのか疑いたくもなる。あんたら、ホントに分かってんの?

 葬儀に参列し、改めて「葬式」も「年忌法要」も、「偲ぶ会」などもやって欲しくないと熟熟思った。人間死んだら終わり、「無」だ。葬儀屋の同級生や、石屋の後輩には悪いが、さっさと火葬してその辺にぶっ散らかして欲しいものだ(笑)

 因みに、「看護婦」は女性は「看護師」、男性は「看護士」となるも、平成14年の法改正で「看護師」に統一された。性差を無くすということだが、言葉遊びでしかない。

 警察官も「婦警」とは言わず「女性警察官」。平成に入り、「男女共学」や「男女混合名簿」など、ジェンダーフリーや男女共同参画社会が実行され、「子供」ではなく「子ども」と表記するなど、変な日本語が巷に氾濫している。こうした愚策に為に年間防衛費の2倍、教育費よりも高い10兆円近い予算が計上され、今では男女共同参画社会の担当大臣までいるとは驚くというより厭きれてしまう。

 また、今や誰もが使う「協働」という言葉だが、この「協働」は抑々、生協が使用してた言葉で、共産党の造語だ。この言葉も今や地方自治では流行ってて、自民党議員までもが何ら疑問を抱くことなく常用している。

 その意味は、「同じ目的の為に、対等の立場で協力し て共に働くこと」であり、コラボレーション(collaboration)なのだという。ならば「協働」ではなく「共同」だろう。 だが、「共同」と「協働」の目的は全く違う。

「協働」の主体は「国民」ではなく、あくまでも「市民」であり、共同参画社会の推進、つまり「共参(共産)社会」の実現であり、コミューン(commune:共同体)を創ることがその目的である。

「協働」推進派は、「市民とは必ずしも地域住民に限定されるものではなく、NPOをはじめ、企業などの企業市民も含まれ、また、地域の一員という意味では行政もまた行政市民という名の市民である」と説明する。

 今やその「協働」という造語があらゆる場面で飛び交い、保守を標榜する政治家までもが何の疑いも無く使っている始末。

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になった。「協働のまちづくり」にしろ、こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは共産党ではなく自民党だったというのは実に御粗末と言う他はない。

 更にカタチを変えた左翼勢力は夫婦別姓、男女共同参画社会、ジェンダーフリー、人権擁護法案、共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、極め付けは女性天皇容認論や女性宮家など次から次へと策謀を重ねている。

 三島由紀夫は嘗てこうした事態が到来することを危惧し、「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである」と文化防衛論で語っている。

 今正に三島が危惧した、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画が実施され、我が国を蝕んでいることに何故に気付かないのだろう。

 自民党「立党宣言」に「社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。(略)祖国再建の大業に邁進せんとするものである」と在るではないか。

 自民党よ、「立党宣言」は絵に描いた餅か。今こそ立党精神に立ち返り、過去の過ちを糺すと共に、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動と対峙しなければならない。ってか、危機感皆無な自民党じゃ無理。まぁこれは自民党に限らず、右翼陣営や自称・保守派にも言えることでもあるが(苦笑)

cordial8317 at 02:09│Comments(0)

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