若し自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命である多くの人は自分の意見や理論こそが正しいと思っているが

2022年04月08日

旧ソ連の蛮行を忘れてロシアを擁護しているマヌケなニホンジン

 ロシア軍のウクライナでの民間人への虐殺や拷問を「フェイクだ」とか「ロシアだけが悪い訳ではない」と擁護して疑わないニホンジンというのは何なのだろう。先の大戦でのロシア人に因る日本人同胞への鬼畜の如き蛮行を忘れてしまったのか。

「非ナチ化の為に戦っている」というが、ウクライナにナチスはいない。ロシアの言う「非ナチ化」とは「非ネオコン化」であり、つまり、米国の自由主義や民主主義に追随するウクライナの自由と民主主義からの解放とロシア属国化が目的である。

 ウクライナの非ナチ化を訴えてるロシアが、ナチスやヒトラーを信奉する民間軍事会社「ワグネル」をウクライナへ送り込んでいる。ロシア政府は、キーウ近郊での民間人殺害を否定してるが、恐らくはワグネルに責任を擦り付けるつもりだろう。

 戦争とは国際法上認められた政治手段の一つだが、その戦争にも最低限のルールがある。「国際人道法」には、非戦闘員や保護対象であり、病院への攻撃や食料や医療品の搬入を妨げてはならない。ウクライナの惨状は国際法違反であるのは明らか。

 東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行したアメリカもそうだが、非戦闘員の殺戮を謀ったこれらの行為やシベリアへの強制連行も全て国際法違反である。

 鳩山由紀夫元首相が、ウクライナの惨状でロシア軍の蛮行を正当化する意味なのだろう、東京大空襲や原爆投下を批判していた。ここまでの認識は好しとするが、鳩山はマヌケにも南京での日本軍の民間人殺害も処罰されるべきだと非難した。

 南京での虐殺は無かったが、極東軍事裁判で南京事件の責任を問われた松井石根陸軍大将は判決を諒として死刑を享け入れている。B・C級戦犯も同じ。鳩山も日本人として責任云々を言い続けるなら、元首相として腹でも召して詫びなさいな。

 米ソのこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。 然し乍ら、米国と我が国は国の威信と存亡、民族の生死を賭けて戦っていたのであり、新しい兵器の開発と使用には三分の理を認めざるを得ない。然るにソ連はどうか。

 我が国とソ連の間には厳然とした「日ソ中立条約」があり、領土の保全と不可侵、そして中立が固く約束されていたにも拘らず、終戦間際に国際条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではない。

 ソ連の参戦は「ヤルタ秘密協定」での米英との約束の実行だが「ヤルタ協定」こそが国際法的にも意味を成さないものであり、国際的にも再検証する必要があろう。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルは当時、ソ連西部のクリミア諸島のヤルタで会談を行った。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では「ソ連が日本との戦争に参戦」「南樺太をソ連に返還」「千島列島をソ連に譲渡する」ことなどが決められ、この密約に従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄し参戦した。

 東部北鮮在留日本人の状況として、外務省外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、対日参戦以降のソ連軍の蛮行が生々しく書かれている。

「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」「女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」と、拉致した女性らは慰安婦にさせられていると綴られている。

 歴史を紐解く上でもソ連の蛮行と北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き世界に訴えるべきで、その不当性が明らかになれば「日本悪玉論」も根底から覆ることだろう。

 北方領土での戦いや悲劇は決して忘れてはならない歴史である。樺太でも同じ様にソ連からの猛攻によって約5700名の軍人や民間人が犠牲となった。ソ連共産党の残虐非道、鬼畜の行為は筆舌に尽くし難く、終戦後も収まることはなかった。

 捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくなかった。樺太真岡郵便局の女子郵便局員9名も、ソ連軍が進行する中、職務を全うした後に自裁する道を選んだ。

 ポツダム宣言受諾後の昭和20年8月20日、樺太真岡郵便局員の伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 その二日前の18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対しソ連軍が奇襲上陸する。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、自衛戦闘を開始した。 戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日には武装解除に応じ戦闘が終結した。

 日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。 この占守島の戦いに拠り、ソ連軍の千島列島の占領は遅滞されることとなり、その数日の間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。

 そういう意味でも戦後に起きた「占守島の戦い」は大きな歴史的意義があった。 この戦いの後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士や民間人の全てがシベリアに強制連行されることとなった。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。ソ連は軍人、軍属、一般人80万人以上をシベリアへ強制連行し不当に抑留。実にこの半数以上の同胞が酷寒の地で凍死、餓死で亡くなられている。

 シベリヤに抑留され、極寒の地で亡くなられた方も数え切れず、抑留された日本人同胞は、国内では一般には約60万人と言われているがこの数字は軍属だけの数字であり、ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされている。

 ウクライナでも子供達を含めて多くの人がロシアへ送還や拉致されている。橋下徹らは「戦う一択」を批判し、また一部の日本人はロシアの正義を信じて疑わないが、ロシア人とは非情であり、この人間性は何年、何世紀経とうが治ることはない。

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cordial8317 at 06:29│Comments(0)

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