「コロナだ」「デルタ株だ」と騒ぎ過ぎだわな(苦笑)「終戦記念日」という呼称こそが戦後民主主義教育の象徴である

2021年07月30日

東京裁判を進める上で「通州虐殺事件」は実にやっかいな不都合な歴史だった

 国内では未だ「日中戦争は日本の侵略戦争だ」との自虐史観が蔓延しているが、日中戦争(日支事変、日華事変、支那事変)は、毛沢東率いる中国共産党の挑発行為によって勃発したものだということは今や歴史的にも証明されている。

「日中戦争」勃発前の支那の新聞の大勢は、「日本をやっつけるべし」という「対日主戦論」が幅を利かせていて、過激な知識人・学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループが主戦論だった。 共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っていた。

 特に中国共産党は「反日」を最大の政治的武器として使っていた。 現在の「反日」も見方を変えれば中国共産党の危機感の表れと見えなくもない。

 昭和6年(1931年)11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は、毛沢東の名により我が国に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で我が国への攻撃が起っても不思議ではない状況の下、昭和12年(1947年)7月7日、盧溝橋で日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件が起った。 この後には「通州」で、支那人による日本人虐殺事件が起こっている。

 この日本人虐殺事件こそが歴史から消された「通州事件(通州虐殺事件)」である。 所謂「南京大虐殺」は知っているが、通州事件について知る国民は少ない。

 通州での残虐行為は全く語られることはなく、学校の教科書にも歴史書や年表にも載ってはいない。通州虐殺事件は東京裁判に不都合ということで不問にされた。

 東京裁判で、日本側弁護団は、この「通州事件」について外務省の公式声明を証拠として提出を図るが、ウェッブ裁判長はその申し出を安安と却下した。

 この通州での日本人虐殺事件を東京裁判で取り上げることは、日中戦争(支那事変)での連合国の「日本悪玉論」の論拠を失うばかりか、東京裁判を進める上でも実にやっかいな不都合な事件だったということは言わずとも分かるだろう。

 この通州虐殺事件を知らずして、この後に起きる盧溝橋事件は語れない。通州虐殺事件は日本人にとって決して忘れてはならない歴史の真実なのである。

 虐殺事件は昭和12(1937)年7月29日に起きた。北京から東に18キロほど下った通州という街は、明朝時代に城壁が築かれ、天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街だ。 通州は当時、日本軍が駐屯しており治安も安定していた。

 規律正しく公正な日本軍は、当時の支那の何処の街でも庶民から歓迎されていたことは当時の写真などでも知るところ。ところが、治安の良いはずのその通州で、昭和11年頃から不穏な空気が漂い始める。最初に騒ぎ始めたのが朝鮮人らだった。

 通州に於いても同じだが、これに朝鮮人らは「日本は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしている」と言い触らし、「次は支那を領土にして支那人を奴隷にしようとしている」などと根拠のないデタラメを半ば公然と吹聴し始める。

 昭和12年になると更に過激になり、「日本軍と日本人を追い出さなければならない。いや日本人は皆殺しにしなければなない」と言い出す迄になって行く。そうした風評は止まることはなく、益々エスカレートし民衆は殺気立った。

 そうした仄聞は現地に駐屯していた日本軍にの耳にも入ってはいたが、現地の日本軍は「その様な根も葉もない噂など相手にする必要はない」と問題にしなかった。

 多くの日本人は物事を客観的に捕らえ様と努力する。これは日本人にとっては至極当たり前のことで美徳とも言えるものだ。だが、何も反論もせず、怒らないことで朝鮮人や支那人を付け上がらせる結果になってしまったのも事実。

 これは現在の対中、対韓外交でも言えることだろう。興奮し易く、直ぐに舞い上がり、感情的になるのは古来から変わらぬ朝鮮人の特徴で、中国共産党の工作員らにとってこれほど利用し易い民族はいなかっただろう。

 昭和12年7月29日午前3時、通州にいた冀東防共自治政府の保安隊(第一総隊と第二教導総隊)合わせて3000人が日本軍を襲撃する。この時、通州にいた日本人は380名。内軍関係者は110名、残りは全員が婦女子だったという。

 不意を突かれた日本兵は防戦一方。襲撃開始と同時に日本兵30名が死亡した。必死で防戦をしている間に、支那人の学生や朝鮮人が日本人の居留区を襲撃し、日本人居留民260名をたった一日で極めて残虐な方法で虐殺するに至った。

 東京裁判での支那駐屯歩兵第2連隊小隊長・桜井文雄証人の証言がある。

 守備隊の東門を出ると、
殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、
一同悲憤の極みに達した。
「日本人はいないか」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、
鼻に牛の如く針金を通された子供や、
片腕を切られた老婆、
腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が
其処彼処のゴミ箱の中や壕の中から続々出てきた。
ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。
婦人という婦人は14、5歳以上は悉く強姦されており
全く見るに忍びなかった。
旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、
陰部に箒を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、
腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。
東門近くの池には、首を縄で縛り、
両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、
一家6人数珠繋ぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。
池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した。

 証言した桜井小隊長は、事件後に現地に調査に入った人物だが、文中にある旭軒での出来事を全て目撃した女性の体験談もあるが筆舌に尽くし難い。

 日本国内では未だ「日中戦争は日本による侵略戦争」だという自虐史観が蔓延しているが、日本は「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのであって侵略が目的ではなく、侵略というものでもない。

「盧溝橋事件」は中国共産党の謀略であることは今や明らかになっている。上海に駐留していた日本海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃した何れの事件も中国共産党が仕掛けた戦争であり、侵略者は我が国ではなく中国共産党である。

 天安門事件やチベット、ウイグルなどで、中共軍が行ってきた虐殺や弾圧は筆舌に尽くし難いが、歴史を見ても決してこれらは対岸の火事ではない。

「盧溝橋事件」にしても「通州事件」にしても、「事実」を知ることが大事であり、事実を知れば東京裁判で断罪された多くの罪が如何に不当なものであり、不公平且つ不正義な人倫にも悖るインチキ裁判であったことが分かるだろう。

 アジア動乱の濫觴はいつの時代も中共が元凶であるというのは歴史を見れば分かる。中共による挑発行為が止まない中で、沖縄県民が第二の通州事件に捲き込まれない為にも、戦争を避ける上でも防衛体制の充実且つ法整備を急がねばならない。

 三島由紀夫は「国防」とは「それを失ったら日本では無くなってしまうものを死守すること」であると訓えた。そう考える時、喫緊にやるべきことは米国依存の歪な体制を正し、国内に巣食うあらゆる反日・売国勢力を排除すること以外にない。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメントやメッセージはmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 08:06│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

「コロナだ」「デルタ株だ」と騒ぎ過ぎだわな(苦笑)「終戦記念日」という呼称こそが戦後民主主義教育の象徴である