「元号」こそ節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり我が国文化を象徴するものである昭和44年以来昭和49年まで8回提出された「靖国神社法案」は全て廃案され再提出の動き無し

2014年01月17日

海上自衛隊輸送艦衝突事件は遺憾至極だが自衛隊は益々訓練に精励せよ!

 広島県大竹市沖で海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船の衝突事件は遺憾至極という他はない。マスコミ各社は自衛隊の過失責任を探すのに躍起だが、こうした事件を機に自衛隊の訓練や士気が下がる様なことがあってはならない。

 釣り船から救助された男性の証言に拠れば、衝突前に同じ方向に航行していた両船の前を貨物船が横切り、輸送船が回避した後に衝突したという。また、民間測量会社「パスコ」に拠れば、当時の現場海域に、両船を横切る様に航行した船の無線発信記録はないという。貨物船に位置情報を知らせる装置を搭載していなかのだろう。

 救助された男性の証言は疑いようも無く、自衛隊側からの説明も同じであれば、正体不明の貨物船の徹底解明が必要であろう。こうした位置情報装置不搭載の船が日常的に航行しているというのであれば、危機管理の問題からも看過出来ない。

 関係当局はこの事故の徹底究明し、斯かる惨事の根絶を期し、自衛隊の訓練こそ優先されるよう万全の策を講じることを望む。今までも自衛艦と漁船、自衛艦と外国貨物船などの事故は起きている。中にはワザと自衛官の訓練を明らかに妨害の意図を持って無謀な航行をした揚句、当て逃げしている事故も発生している。

 政府はこうした事故が起きる度に自衛隊の訓練を自粛し、また明らかに相手国の船がぶつけているのにも係わらず抗議の声も上げず、泣き寝入りしているのが現状である。縦しんば、自衛隊側に非が在るとしても、それは訓練中の偶発的な事故であり、自衛隊の訓練や士気までもが下がる様な対応は決してしてはならない。

 一つの事故を以て全体を律するのは吝かではないが、軍事、国防の優先は国家として当然であり、国防の問題は一日も忽せない重大事である。人命救助に日夜、東奔西走している救急車でも、事故を起こすこともあるだろう。そうした場合に救急車の出動を自粛したり、或いは中止したりすればどうなるかは言わずもがなだ。

 抑々、自衛隊の使命は、自衛隊法第三条に明記されている通り、我が国の平和と独立を護り、国の安全を保つ為に我が国を防衛することにある。その任務の重く、崇高なものであるのは言うを俟たない。こうした事故が起きる度にマスコミは、自衛隊に非が在ることを前提に、こうした海域での訓練に疑問を投げかける。

 その批判の根底には憲法下での自衛隊の存在は違憲であるという認識から、軍事優先の結果がこうした事故が起きる原因であるとガナリ立てる。民間人とのトラブルや事故を利用し、自衛隊に対する国民の反感を盛り上げようと躍起となるが、今や国民の自衛隊に対する見方はひと昔前とは明らかに変わって来ているのも確かだ。

 東日本大震災での自衛隊の活躍は誰もが頼もしく感じたことだろう。国防と領土保全、更には防災、救援、復興と日々休み無く行動している自衛隊を心強く思い、また頼もしく思うのは当然のこと。国際環境やアジア情勢が大きく動いている今、防衛費や自衛隊の給与を削減したり、隊員の士気を削ぐ様なことがあってはならない。

 政府がやるべきことは、自衛隊への感謝の念が高まっている今こそ、自衛隊を正式な軍隊として、その存在と必要性を明確にすることだ。戦後、GHQは徹底した日本の非軍事化を進めた。日本国憲法下では、「陸海空の戦力は保持しない。交戦権も認めない」と明記されており、自衛隊の存在自体が認められてはいないのだ。

 大東亜戦争に敗れ、GHQの占領下だった昭和25(1950)年6月25日、朝鮮戦争が勃発するとマッカーサーは吉田茂へ手紙を出す。所謂「マッカサー書簡」と言われるものだ。中身は再軍備と朝鮮戦争への参戦要請。吉田は再軍備に取り掛かり、苦肉の策として「警察予備隊」を設置し参戦を準備するも、日本国憲法を楯に拒否した。

 吉田が日本国憲法を楯に朝鮮戦争への参戦を拒否したことで、我が国が朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろう。だがマッカーサー書簡が送られたのを機に憲法を破棄していれば我が国はまともな国になっていたに違いない。

 当時の吉田の判断が好かったかどうかなど現在の価値観や倫理観で議論したところで意味はない。この吉田の判断が未だに大きく圧し掛かっているのは紛れもない事実だろう。その後、警察予備隊は「保安隊」、そして「自衛隊」と名称や組織を変え、政府は自衛隊を「憲法上認められる存在だ」と主張し続けた。

 吉田は「戦力とは近代戦を実行する力であり、保安隊、警備隊にその力はない」と詭弁を弄した。その結果、自衛隊は永い間「戦力なき軍隊」と言われたまま、今もその呪縛に囚われて続けている。戦後最大の虚構こそ自衛隊なのである。

 こうしたまやかしは最早通用しない。今や自衛隊は海外にも派遣され、国際貢献と平和安定に大きく寄与している。国家の命令で派遣された自衛隊員がもし犠牲になった場合も本来、英霊として靖國神社へ祀るべき存在であるにも係わらず、その自衛隊員は無駄死となっったまま市谷でひっそりと慰霊祭が執り行われているだけ。

 朝鮮戦争当時、極秘裏に派遣された海上保安庁の掃海艇一隻が触雷して沈没し1名が犠牲となったことがある。だが、事実上の戦死にも拘らず未だに戦死と認められていないのがその証左だろう。訓練中や東日本大震災などでの震災での救援活動で犠牲となった隊員も英霊と同じく国家が責任を以て手厚く慰藉すべきだと思う。

 平成10年、防衛省の六本木から市ヶ谷への移転に伴い、敷地内に自衛隊殉職者慰霊碑が建立され、毎年、御遺族、内閣総理大臣、防衛大臣以下高級幹部などが参列し追悼式が行われている。自衛隊員の慰霊碑が出来たのが平成10年とは驚く。

 防衛省はその性格上一般国民が足を踏み入れることは出来ない為に国民が慰霊や顕彰をすることはない。 広く一般国民も詣でられる様に靖國神社に祀るべきだ。

 昭和25年8月9日の警察予備隊発足以来、自衛隊では実に1822名の自衛官が「殉職」されており、東日本大震災で殉職された方々を合わせると実に1840名の方が犠牲となっているのだ。悲しい哉、こうした事実を知る国民は少ない。

 東日本大震災を始め、自然災害に対しての災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に日夜行われている訓練などで、1840も名の自衛官が殉職されていることを、我々国民はどういう風に感じているのだろうか。

 軍隊とは任務の為なら死をも厭わぬ集団である。国家・国民の為に犠牲となれば国民挙って感謝の誠を捧げるのは当然で、世界の常識である。だが、悲しい哉、我が国は未だ戦後民主主義に侵され「平和ボケ」の真っ只中である。首相の靖國参拝の騒動も同じく現在を生きる日本人の精神的貧困さを示す一例だろう。

 国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げ、慰霊し顕彰することは世界の何処の国でも当然のこと。

 今を生きる国民としての義務でもある。ところが残念なことに我が国では国の礎となった方々は国家から顧みられることが少ない。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、日本の政治指導者は考えたことがあるのだろうか。

 全ての捩れは国の基本法である日本国憲法が元凶であり、自衛隊をこのまま違憲の状態で放置することがあってはならない。安倍は「我が国の平和と独立を守りそして世界の平和と安定に貢献する」というが、この何処が積極的平和外交なのか。

  自らの国家の防衛をも否定する亡国憲法の破棄なくして積極的平和主義も「平和国家建設」も単なる妄想でしかない。今こそ日本人自らの手で憲法を制定するなり、明治欽定憲法を復元・改正するなり、国民の生命財産と安全を守る為に日夜活躍している自衛隊を、国軍として、その存在と必要性を明確にしなければならない。

 自衛隊諸君は、今回の漁船衝突事故に怯むことなく、勇気と自信を持って職務に精励し、国民の信頼と期待に応じ、前進せよ!ガンバレ・自衛隊!

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cordial8317 at 09:06│Comments(0)

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