「何より天皇陛下が参拝できる神社になるためにはどうするか」という不敬な愚論を糺す!細川護煕の出馬は田母神俊雄陣営にとって願ったり叶ったり

2014年01月08日

「主権の存する国民の総意に基づく」とは何事ぞ、畏くも天皇陛下は憲法以前の御存在である!

 天皇陛下の現憲法上に於ける御地位、或いは権限というのは、悲しい哉「国民統合の象徴」という実にあやふやな表現に留まった儘である。

 天皇は現憲法上の制約から、国事行為として、「国会の開会式」、首相や最高裁長官の「親任式」、「大臣の認証式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見や会食などの御公務を約170回お努めになられる。 

 また天皇の「祭事」は、元旦未明から斎行なされる「四方拝」から始まり、「歳旦祭」、「元始祭」や毎月の「旬祭」など、実に年に約50回程に上るが、こうしたものは「公的行為」ではなく「私的行為」とされている。

 天皇にとって最も大事なものは「祭事」であり、本来は「国事行為」よりも優先されるべきものなのだが、「祭事」は現憲法によって「天皇家の私事」とされたまま放置され続けているのが実情なのだ。

 現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。これ即ち、未だ占領政策である「神道指令」の呪縛から解放されずにいるということの証左でもある。これを政治の怠慢、不作為と言わずして何と言おう。

 安倍政権が真に「戦後レジームからの脱却」を図るのなら、国體や国柄を護る上でも、天皇の「祭事」を憲法上最優先で認められる様にすべきであろう。

 日本国憲法というのは国の基本法として体を為していない。憲法というと第9条ばかりが議論されるが、9条よりも「第1条」が酷いのだ。

 第1条は「主権在民」「象徴天皇制」を謳っているのだが、「天皇は日本統合の象徴であって、それは主権の存する国民の総意に基づく」と在る。

 日本共産党や左翼どもはこの第1条のこの項目を理由に天皇の存在を否定し、「天皇は憲法違反の存在!」と断じて憚らない。

 卑しくも日本国民たるものが、陛下の御地位、御発言、御行為等を彼是批判することは誠に以て不遜不敬、不屈至極であり、断じて赦されるものではない。

 共産党らは、国體変革、革命謀略の大反逆心から「我々が(天皇制に)反対しているのだから国民の総意ではない。由って天皇は憲法違反の存在である」という屁理屈は日本人らしからぬ実に御粗末且つ無礼千万なものだ。

 こうした理由から、陛下が御臨席遊ばされる国会の開会式には必ず欠席し、不敬不遜を働き続けている。日本人としてあるまじき無礼にも、衆参議長も総理大臣も咎めたこともなく、拱手傍観を極め込んで看過しているというのは如何なものか。

 こうした共産党の行為を苦々しく思い、怒りを覚える国民が殆どだろうが、残念ながらこの共産党の屁理屈は法治国家日本の憲法上の解釈は正論なのだ。

 だが、抑々、天皇陛下は憲法以前の御存在であらせられ、憲法が在って天皇が存在せられるものではない。これは歴史が明らかに証明するところであろう。

 我が国は天皇即日本、日本即天皇であり、天皇の存在せられない日本など断じて有り得ない。明治天皇が、教育勅語の中で「世々その美を済せる国體の精華」と御諭しになったところであり、万邦類い無き「天皇国日本」の真姿である。

 欽定明治憲法(大日本帝国憲法)の第1条に、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在ることは、我が国の万世一系という歴史的事実と、我が国の本来在るべき姿を明示されたものと謹解する。

「憲法改正」というと「第9条」ばかりが問題にされるが、「第9条」よりも「第1条」の共産党の天皇否定の屁理屈を明らかにすれば、国民はなるほどと膝を打ち、「改憲」への理解が深まり、改憲に反対する声は少なくなるだろう。

 共産党は天皇の存在を否定しながら、「天皇制」という言葉を使用する。「天皇制」という言葉は共産党の造語であり、天皇は制度ではない。

 これはつまり、共産党ら左翼自体が暗黙に日本という国は天皇制の国家であることを認めている証左でもあり、だからこそ「天皇制廃止」を声高に叫ぶのだろう。

 また、朝日、毎日、NHKどもは、皇室用語に敬語は使わない。無礼極まる報道は目に余る。こうした「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。

 こうした動きは、GHQの「神道指令」や「言論統制」「日本弱体化政策」というより、1932年にソ連共産党から日本共産党へ通達された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の指令による影響が大きい。

「命令書」には「天皇制廃止運動」として、昭和時代の「戦争責任・退位論」に始まり、次いで「開かれた皇室論」と「敬称・敬語不使用運動」が記されてある。

 それを忠実に実行。昭和天皇に対して記者が事ある毎に「陛下は、所謂戦争責任についてどの様なお考えであるか」などと質問する。これは記者の立場を利用した「吊し上げ」であり、記者の傲岸不遜ここに極まれりというものだった。

 欽定明治憲法下に於いては、国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、陛下には法的に責任はない。

 しかし、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であり、終戦の勅諭で「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

 戦後、マスコミは週刊誌などで陛下や御皇族方を登場させ、不敬なスキャンダラスな記事で尊崇の念を薄れさせることに成功した。そして平成に入り「女性天皇論」や「女性宮家論」として反天皇制運動は継続されているというのが実情である。

 マスコミに感化され、日本人でありながら、「美智子さま」「皇太子さま」「雅子さま」「紀子さま」「愛子さま」「悠仁さま」という呼ぶことは、自分の意思とは関係なく、共産党の命令書を忠実に遂行していると言っても過言ではないのだ。

 日本国民ならば、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下、秋篠宮妃殿下、愛子内親王、悠仁親王殿下とお呼びすきで、こうした週刊誌的「開かれた皇室論」から、日本の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきである。

 我が国は天皇陛下を族長と仰ぐ家族国家であり、この国體は万邦無比であることは言うを待たない。戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、日本国民として節度ある敬意を表するべきというのは言うまでもない。

 憲法第1条も然ることながら、第2条も喫緊に見直すべき条項の一つでもある。

 第2条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と在る。だが、「世襲」とは何ぞや。

 欽定明治憲法第2条には、「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス」と在る様に、皇位は男系男子が継承されなければならない。

 現憲法下で、天皇廃止を叫ぶ勢力は、現憲法第2条を楯に皇室典範の改悪と愛子内親王こそ世襲の筆頭であるとし、初代・神武天皇から125代の今上陛下の皇統が「男系」と連綿と続いていとるいう厳然たる事実を否定する。

 世界に類の見ない我が国固有の歴史と伝統を、また憲法以前の御存在で荒らされる天皇を平成の御世で「法律」ということを以て改革するとは何事か。

 男系継承を維持する為の方法として、「臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰」「女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子やその方に皇位継承権を付与」 「廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮)の祭祀を継承し宮家を再興」などの皇室典範改正を目指すべきだ。

 皇室典範は政治家や宮内庁中心で議論するのではなく、陛下や皇太子、皇族の方々の御意見こそ尊重するべきであるが、現皇室典範下では適わない。

 軽々しく語るものではないが、自民党にしろ民主党にしろ、祭儀や国事行為などでの陛下の御苦労を理解していない連中が、尊皇ということも理解せずに机上で議論をしていること自体、実に痴がましい。

 先ずは我々国民が、天皇が日本の歴史の中で果たして来られた役割や在り方を学ぶべきである。そういうことがなければ いつの日か、左翼陣営の思惑通りに「天皇」はいらないという議論にまで発展して行くだろう。

 安倍政権下では、「第96条」の3分の2の改正条項の見直しを改憲の突破口にと考えている様だが、「改憲」にしろ、「自主憲法制定」にしろ、「欽定憲法復元改正」にしろ、不敬極まる共産党の「第1条」の屁理屈を議論した方が分かり易いだろう。畏くも天皇陛下は憲法以前の御存在であらされるということを自覚せよ。

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cordial8317 at 10:30│Comments(0)

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