山水三千世界を万里一空に入れ満天地とも攬る(宮本武蔵)河井継之助と岩村精一郎との慈眼寺での会談は日本の歴史に禍根を残した

2013年12月15日

尊敬はあくまでも醇乎たるべきものでなければならない(河井継之助)

 司馬遼太郎は著書である「峠」で、河井を武士道倫理に生きた「最後の侍」だとして、その継之助の生き様を活き活きと描いている。中でも茶屋遊びの場面が粋で好い。やはり放蕩というのは人物を大きくするものだと痛感する(笑)

 歴史家も河井を東西の優れた軍事指揮者の一人に挙げているが、愚生は継之助こそ幕末の最も優れた人物であり、然も人間味に溢れた武士だったと思っている。

 河井継之助、名は秋義、号は蒼竜窟。越後長岡藩士。「越(ほくえつ)の蒼竜」と称された継之助は、幕末に於いて長岡藩の近代化に努力した英雄である。

 継之助は、長岡藩士120石取りの代右衛門秋紀の子として生まれる。幼少の頃から腕白だったといい、人の忠告を素直に聞かない強情張りであったという。

 それは大人になってからも変わらなかった。少年時代は藩校で古義学を学び、成長するとともに実践重視の「陽明学」へと傾倒して行ったと言われている。

 17歳の時に継之助は、鶏を裁いて王陽明を祭る祭壇に鶏肉を供え、人民と藩是の為に立志し誓明したという。青年期には読書に没頭し、良書を見つけるとその書だけを何度も読み返し、一字一句を書き留め暗記し、我が身の行動の規範と成した。

 嘉永5(1852)年、継之助は江戸に遊学。佐久間象山や古賀謹一郎に師事するが、象山の尊大さと理屈を捏ねる腹の曲がり具合が気に食わず象山から遠ざかった。継之助が生涯を通じて、敬服した人物は備中松山藩の儒者・山田方谷である。

 安政6(1859)年には、継之助は遊学を決意し、松山藩まで足を運ぶと、直接、方谷から陽明学を学んで藩政改革の方法を習得している。彼は、方谷を「先生」と呼び「希代の英雄」と讃えて、方谷が唱える思想を熱心に学んだという。

 方谷に入門を乞うも中々承諾されなかった。だが、継之助の熱意は届き、漸く入門を許可されると、「学問の講義は要りませぬ」と断ったという。方谷先生と起居を共にすることだけでも学ぶものが多いのことを継之助は知っていた。

 暇があれば方谷と雑談する、その雑談や所作、何気ないことから学ぶことこそ貴重であり、得るものが多いものだ。書物を読み暗記したところで意味はない。継之助は内弟子らは「何故に貴公は方谷先生と一緒に鍬を持たないのか」と詰られる。

「嫌いだからだ。今更、百姓の真似が出来るか」。内弟子が尚も「方谷先生を尊敬していないのか」と詰るも、継之助は、「尊敬はあくまでも醇乎(じゅんこ)たるべきものであり、百姓を手伝うというのはおべっかに過ぎない」と開き直った。

 昨今、愚生の周りを見渡しても目上の者や強い者、或いは右翼の有名な人と見るや「おべっか」やそういうのに諂う輩が目立ち、その心情や行動に「醇乎」さは乏しいというより全く無い。純粋さからはかけ離れている「ヨイショ」ばかり。

 方谷は後に、「河井は豪(えら)過ぎる。豪過ぎることが幸福な結果になるか、不幸を呼ぶか」と語ったという。その結果は、残念乍ら後者の方であった。

 1ヶ月半ほどの遊学であったが、別れの朝、継之助は対岸の街道の路上に土下座し、師匠の小さな姿を伏し拝んだ。人を容易に尊敬することのない男が、土下座したのは生涯これが最初で最後だったという。こうしたことでも親しみが湧く。 

 継之助はこの後、長崎などへも西国への遊学を果たして見聞を広めると共に、会津藩の秋月悌次郎などとも交友を深め、様々な人脈を広げている。

 真実を求める為に塾を転々とし、諸国を遍歴した継之助の真似ではないが、愚生も今秋に、遊学の様な偉そうなことではないが旅に出た。どんなものでも「旅」は人を大きくしてくれると思っている。旅から得るものは実に多い。

 放浪の旅というのは日常の解放であり、酒徒が酒を恋うのと同じ欲求でもある。人との出会いに感動し、酒を酌み交わせば言葉は要らない。「一期一会」とか「刮目して相対す」とか「人生意気に感じる」とはそういうことだと思う。

 愚生にも師と呼べる師はいない。強いて言えば、一代で大手警備会社「テイケイ」を築いた高花豊先生くらいなものだ。後は、組織の先輩や先生方は反面教師ばかり。

 師に仕えるというのは大事なこと。然し、悪しき師に学べば悪癖がこびり付いて一生の垢となる。それ程でもない師に三年学ぶのなら、良い師を求める為に三年費やした方が好い。皆さんにはいざという時に心の支えになる「師」はいますか。

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cordial8317 at 08:02│Comments(0)

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