「稚心ヲ去ル 気ヲ振ルウ 志ヲ立ツ 学ニ勉ム 交友ヲ選ブ」(橋本左内)言葉の多き・負け惜しみ・差し出口・言葉のすぐるは愛想なし(良寛)

2013年11月30日

憲法21条では「報道の自由」が確かに保証されていが・・・

「特定秘密保護法案」に反対するマスコミやジャーナリストらは「知る権利」を翳し国民を煽動するが、一体彼らの「知る権利」とは何なのだろう。

 マスコミに「知る権利」が在るなら、国民もまた然り。だが、国民は、マスコミやジャーナリスト、或いは自称・有識者やコメンテーターらが取り上げる胡散臭げな問題に一喜一憂するばかりで、自ら考えることを放棄してしまった。

 問題が出ればその萌芽は日本や政府に在ると貶し、それをマスコミ御用達のインチキ言論人が煽り立てる。 例えば「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と呼称し、「日清・日露戦争」や「日韓併合」に至る近代史にしても、「南京事件」や「慰安婦問題」にしても、マスコミが国民に真実を伝えているとは思えない。

 NHKにしろ、朝日新聞にしろ、GHQの「言論統制」という弾圧から未だ覚醒せず、自虐史観から脱却出来ずにいるそんなマスコミやジャーナリストが、「知る権利」などとは痴しく、「社会の木鐸」としての誇りなど微塵も感じない。

「木鐸」とは、「世人に警告を発し、教え導くこと」にあるが、どうみても自虐史観にどっぷり漬かった彼らは、贖罪意識から中韓に媚び諂い、我が国の国柄を崩壊させんが為に走狗と化してしまっている。木鐸以前に国家観に乏しい。

 憲法21条では「報道の自由」が保証されている。だがこれは、記者らの礼儀を欠いた傲岸不遜な取材活動や報道を保証するものでもない。

 放送法第1条第2項には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と謳われている。

 同第4条第2項には「政治的に公平であること」、そして同条第4項には「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と記されている。NHKや朝日がこの法令に違反してるのは明らか。

 新聞倫理綱領にも「言論・表現の自由の下、高い倫理意識を備え・・・」「言論・論評の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し品格を重んじなくてはならない」と記されている。兎角、傲慢になりがちな記者を諌める為のものだ。

 だがどうだろう、新聞記者諸公に高い倫理意識など感じることもなく、とても自らを律して品格を重んじてるとは思えない。 テレビにしろ、傍若無人な礼儀を欠いた報道は日本の品格を貶め、国民の倫理意識を低下させ続けている。

 憲法にしろ、放送法にしろ、新聞倫理綱領にしろ、記者らの傍若無人な礼儀を欠いた取材活動を保証する為のものではないのだ。「知る権利」を特権であるかの様に振り翳す前に、己らの謙虚さも無い、醜い姿を見つめ直したら如何か。

「知る権利」とはマスコミの知る「権利」ではなくて、国民が真実を知る「権利」でなくてはならいのは当たり前のこと。マスコミは知り得た情報を、公平公正に国民に伝える役目を担っているに過ぎない。 余計な私感や歪な主観は要らない。
 
 嘗て坂の上の雲を追い続けた時代、国民の側に立ち「自由民権」を主張した新聞は、「反骨」を旨とし、権力に対して敢然と大衆の代弁者を自負していた。

 時の権力は新聞社や記者を弾圧するも、彼らはジャーナリズムの矜持と使命を以て決して怯むことはなかったのだ。 今や正統ジャーナリズムは存在せず、権力への批判は単なるパフォーマンスと化し、民衆に迎合して、腐して終わり。そうした冷笑的な態度こそが真のジャーナリズムだと錯覚しているのは困ったものだ。

「反安倍」「反自民」こそが反権力と勘違いしているが、我が国の政治が未だ三流と言われ続ける一因は、世論をぶち壊して悦に浸っている進歩の無い「低能ジャーナリズム」が元凶でもある。これを正すことが我が国再生への近道である。

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cordial8317 at 05:27│Comments(0)

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