我が国の国柄や国體を損ねる主義・思想に断固として対峙して行かねばならない「明治の日本人に出来て今の私達に出来ない筈はありません」と言うが・・・

2013年10月15日

和を講じ哀を乞うて止まずとは立国の要素たる痩我慢の士風を傷ふたる

 本日、畏くも天皇陛下御臨席の下、臨時国会が召集される。現在の我が国は経済的な貧困問題よりも、精神的貧困の方が深刻。「成長戦略」という名の経済政策も結構だが、国家の大本となる「国防」と「教育」の議論をして欲しいものだ。

 福沢諭吉は、凡そ100年前「痩せ我慢の記」という一文を発表し、「一片の痩せ我慢こそ百千年後に至るまで、国の独立を維持する上で大切である」と説いた。

 福沢諭吉は、嘗て幕臣だった勝海舟と榎本武揚が、敵方である薩摩・長州中心の新政府から優遇を受け、大臣に昇りつめた出世を厳しく批判している。

「幕府が最後の死力を張らずして、唯一向に和を講じ哀を乞うて止まずとは、立国の要素たる痩我慢の士風を傷ふたる。独り怪しむ可きは、氏が先きの敵国の士人と並立て、旧幕府の幕風を脱して愉快に世を渡りて、得々名利の地位に居るの一事なり」

 その諭旨は、勝海舟はひたすら講和を主張し、官軍と一戦も交えず開城したのは、要素たる士風を損なった。例え、内乱が国家にとって無益大害の極みであっても、抵抗するのが武士の意気地ではないか。

 人の生命と財産を救ったのは評価するが、世話になった親(幕府)を見殺しにするような態度は、国家としての風潮を無に帰する行為だ。後世の日本人よ、奴を真似してはいかんぞと、勝を痛烈に批判している。榎本武揚も然りである。

「氏の為めに苦戦し、氏の為めに戦死したるに、首領にして降参とあれば、憤戦止まらず、其中には父子諸共に切死したる人もありしと云ふ。死者もし霊あらば、必ず地下に大不平を鳴らすことならん」

 中島三郎助父子のような気概溢れる武士にアンタは顔向け出来るか。普通なら出家隠棲は無理だとしても、世間の目に触れず社会の片隅でひっそりと生きていくことこそ本意だったと批判している。

 榎本は、必敗覚悟で五稜郭に立て篭もり、官軍に反抗したのは功名といえるが、降伏後に立身出世を志したのは、その過去を傷つけるもので、両人共、敵味方のケジメをつけ、野に下ることこそ取るべき道であったと諭す。

 今日の我が国を見渡せば、政治家を筆頭に「義」を守る者が余りにも少なく、利権に集り、私利私欲に狂奔し、カネに群がる不逞の輩ばかり。

 福澤翁が諭した「痩せ我慢」の気風は何処へ行ってしまったのだろう。何でもかんでも泣き言さえ言えば助けて貰えるという風潮はいい傾向ではない。

 欲しがり屋ばかりが得する世の中だが、「我慢」「辛抱」「忍耐」は大事な教えだ。そんな苦しさを表情や態度に表さず平気な顔をしてみせることはもっと大事。

 「武士は食わねど高楊枝」と言った方が分かり易いか。喩え貧しくても清貧に安んじ、気位を高く。「痩せ我慢」こそ日本人の美徳であり崇高な精神でもある。

cordial8317 at 04:56│Comments(0)

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