2013年10月03日
いにしへの姿のままにあらためぬ神のやしろぞたふとかりける
皇大神宮(伊勢神宮)の式年遷宮で神道最大且つ最重要の儀式である「遷御の儀」が昨夜厳かに斎行された。式年遷宮とは20年に一度、神様に新しい社殿に遷り戴き、神の瑞瑞しい力の蘇りを祈る神事であり「大神嘗祭」とも呼ばれるものだ。
繰り返し再生することで、いつも変わらない姿で、瑞瑞しいままに「永遠」を目指すことを「常若(とこわか)」といい、「常若」こそが神宮の大本の精神であり、この思いと祈りこそが先人の英知を象徴していると言えよう。
「万葉集」の時代、全てのものには魂が宿るとする信仰があった。米には稲魂(いなだま)、木には木魂(木魂・こだま)、言葉には言霊(ことだま)。国にも国魂(くにだましい)が在るとされた。
オオヒルメムチといわれた「天照大神」は光の魂であり、日霊である。その神や国の魂を清新にすれば、我が国は若々しく、愈々栄える。
つまり弥栄(いやさか)になるとされたのだ。 20年ごとに日本の国の魂を生まれ変わらせることによって、国家が若返り、そのことにより永遠を目指そうとするのであるが、何とロマンチックで素晴らしい想いだろう。
「常若」というのは、「古事記」や「万葉集」にある「常世(とこよ)」と同じ様に御目出度いことで、室町時代の古文書にもしばしば出てくるが、いつも若々しいこと、永遠に若いことを意味し、それは正しく神宮の目指す理念である。
いにしへの姿のままにあらためぬ神のやしろぞたふとかりける(明治天皇御製)
「式年遷宮」の神事を見入りながら、日本人として生まれた喜びを感じるとともに、この古から続く精神こそ受け継いで行かねばならない。すめらぎいやさか。
繰り返し再生することで、いつも変わらない姿で、瑞瑞しいままに「永遠」を目指すことを「常若(とこわか)」といい、「常若」こそが神宮の大本の精神であり、この思いと祈りこそが先人の英知を象徴していると言えよう。
「万葉集」の時代、全てのものには魂が宿るとする信仰があった。米には稲魂(いなだま)、木には木魂(木魂・こだま)、言葉には言霊(ことだま)。国にも国魂(くにだましい)が在るとされた。
オオヒルメムチといわれた「天照大神」は光の魂であり、日霊である。その神や国の魂を清新にすれば、我が国は若々しく、愈々栄える。
つまり弥栄(いやさか)になるとされたのだ。 20年ごとに日本の国の魂を生まれ変わらせることによって、国家が若返り、そのことにより永遠を目指そうとするのであるが、何とロマンチックで素晴らしい想いだろう。
「常若」というのは、「古事記」や「万葉集」にある「常世(とこよ)」と同じ様に御目出度いことで、室町時代の古文書にもしばしば出てくるが、いつも若々しいこと、永遠に若いことを意味し、それは正しく神宮の目指す理念である。
いにしへの姿のままにあらためぬ神のやしろぞたふとかりける(明治天皇御製)
「式年遷宮」の神事を見入りながら、日本人として生まれた喜びを感じるとともに、この古から続く精神こそ受け継いで行かねばならない。すめらぎいやさか。
cordial8317 at 05:58│Comments(0)
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