9泊10日の旅は無事に帰還しました。邂逅に感謝します♪「野村秋介先生追悼二十年特集号」。あれからもう20年か・・・

2013年09月23日

「晋どん、もうよか!」の言葉こそ西郷の生き様を現している

 やはり歳には敵わない。無事に帰還しホッとした所為か今頃になって旅の疲れが出て来た様だ。チョッとした贅沢な国内旅行やヨーロッパ旅行くらい出来る小遣いを持って旅に出たが、粗使い果たした。残ってた金は来週車検だという軽自動車に使う様にと愚妻に渡し、明日からまたいつもの生活に戻ります(笑)

 浪人を気取ってはいるが乞食の様なもの。金銭的には楽ではないが「乞食の朝謡」という様にサラリーマンや正業を持ってる方々よりは気楽なものではある。

 所属していた防共挺身隊は「総会屋右翼」やら「金権右翼」と揶揄された右翼でもある。初代総隊長の福田進、二代目・早坂光夫、三代目・對馬則政と30年も所属して幹部としてその金権体質の恩恵を享けなかったのは愚生だけだ(笑)

 それどころか、三代目の頃は愚生が苦労して捻出した金は殆ど家にも入れず活動費に使った。尤も、本部を当てにして、またそうしたオイシい思いをしたことが無いから、今の様な浪人暮らしも耐えられるのだろう。何事も物は考え様なのだ。

 若いうちの苦労や失敗は大きな財産を生む。苦難というものは醜い顔をし厭な顔をして苦痛の姿を採ってはいるが、実は吾等の敵ではなく味方である。苦難は一番親身に吾が身の為を思って突っ掛けてくる正義の友である。

 苦難とは人を殺す為に有るのではなく、悩み苦しむことで人をより善くし、より一歩を進ませ向上させる為に起こるの生きる上での必然なのである。

 豪傑、山中鹿之助は「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をしたというが、苦難とは人生での危険を教える為の慈悲の鞭である。

「幸福」と「苦難」は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難はやはり「天の与えた試練」と考えるべきなのであるが、避けてしまう人が殆ど。

 NHKの大河ドラマ「八重の桜」は「西南戦争」だった。西郷が自裁するのは9月24日だが、この西郷隆盛は、「艱難は楽しむものなり」と訓える。艱難をも諒と捉え、それをも愉しもうとする西郷の精神こそやせ我慢の神髄だろう。

 自殺未遂、二度の遠島処分、そして西南戦争と苦難続きの人生を送った人物だったが、一方では女性遍歴も。真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹に心は繊細で、その波乱に満ちた生涯は常に死の影が付き纏っていた。

 それでも、西郷は「いつ死んだっていい。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様なところがあったという。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、また自分の死に際でさえ実に潔い人物だった。「晋どん、もうよか!」。最後の言葉こそ西郷の生き様を現していると思う。

「苦難には意味がある」と共に大事なのは、西郷の様な「開き直りの処世観」を常に維持出来ているかということだ。話しは変わるが昨日は地元の郡山市に皇太子殿下雅子妃殿下が行啓遊ばされた。県民として実に有難いことです。

cordial8317 at 07:21│Comments(0)

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