2週間ほど愛を求め、放浪の旅に出掛けて来ます。呵呵「晋どん、もうよか!」。この言葉こそ西郷の生き様を現している

2013年09月21日

9泊10日の旅、無事に帰還しました。皆さん、ありがとう♪


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 期するところがあり、60Lのバックパックにテントやら着替えなどを詰め込み九州の旅に出た。荷物の総重量約20キロ。旅といっても行き当たりばったりの放浪の旅、泊るところも何も決めてはいない。

 水曜日午後、大宮で待ち合わせた奥村さんが、旅の無事を祈って壮行会をしてくれた。途中で倅も同席。夕方5時45分発の福岡行きの高速バスに乗り込んだ。15時間に及ぶバスの旅は福岡には定刻通り朝8時過ぎに到着した。

 福岡上陸から間もなく、長崎の上田崇仁先輩に会う為に長崎本線に乗り込み、2時間かけて佐世保へ向った。佐世保の改札を出ると既に上田先輩が満面の笑みで出迎えてくれた。先輩の持つ杖が、現実に引き戻す。

 先輩は数年前に難病を患った。病気は進行性ということで、酒も飲めないという。あれだけ豪快だったから気の毒と言う他ない。「運転も2時間がギリギリかなぁ」と笑ってはいたが、無事に快復することを願うばかりだ。

 雲仙から熊本へ行こうと思うと告げると、「佐久間とも色々話もあるし、諫早まで送って行くよ!」というので、それに甘え送って貰った。

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 諫早へ向かう途中、大東亜戦争での南方からの引き揚げ者が降り立ったという南風港の話しを伺い、回天特攻基地が出撃した川棚町に立ち寄って頂いた。

 短いドライブだったが久々に先輩と邂逅し感慨無量の時間となった。別れ際、「旅の足しにしろ」と餞別まで頂く。土産も持たず本来なら見舞いを渡さなきゃならないのにホント申し訳ない。

「何だかんだ言っても俺は佐久間の先輩だぞ、連絡を貰っただけで嬉しかったよ。また会えるように頑張るよ!」と差し出した手をしっかり握って別れた。遠ざかる先輩の姿はどことなく寂しげだった。

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 諫早からは雲仙鉄道で最終の駅まで約1時間。島原で野営でもしたいと思ったが、途中で相馬の友人から連絡が入り、「是非とも、宇土へ」というので、フェリーで熊本県へ上陸した。とその前に、島原のフェリーターミナルに在った場外舟券売り場に立ち寄って「旅打ち」したものの、案の定轟沈(爆)

 フェリーの中で友人に聞いていた「旅籠こめや」をネットで検索、早速予約。フェリーからバスを乗り継ぎ、熊本駅から宇土駅へと向かった。

 旅館はこじんまりしてはいるが小綺麗でオーナーの拘りが感じられる。食事無しの素泊まりで予約してしまったので夕飯を頼むと、既に友人が言ってくれてた様で、夕飯はちらし寿司とちょっとした料理を提供して頂いた。

 夕食には、東京南青山に事務所を構えながらボランティア活動をしているNPO法人代表の上村さんが同席し、安着を祝ってビールで乾杯。

 上村さんは若いながらも経験豊富で、その気遣いをみれば色々と危ない橋も渡ってきたのだろうと推測出来る。稀に見る好青年だった。

 紹介してくれた友人の周りにはこういう人が集まって来るのもやはり友人の人徳だろう。上村さんと喧々諤々、あれやこれやと他愛もない会話で盛り上がり、上村さんに誘われるがまま調子に乗って近所のスナックに転戦することに。

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 翌日は「こめや」というだけあって、自慢の美味しい朝食を食べ、旅館のオーナーであり、地元の名士でもある米谷氏と謁見することに。

 社団法人の「熊本青年塾」の塾長の米谷氏は全国に門下生がいる。言わば思想家だろうか。息子も霞ヶ関の官僚で、歴代知事らも塾生というから凄い。

 その様な塾長とはどんな人かとわくわくしながら待ってると、当人はそんなことはお構いなしに日本酒の4合瓶を片手に登場した。

 人を食った感じが実にいい。「わしゃ会話は単語しか分からんからようしゃべられん。そんな話なんてどうでもよかバッテン、さあ、先ずは酒でも飲もうや!」ってな感じで、朝から日本酒を旨そうに呷っていた。

 運転が無ければトコトン付き合ってみたくなる人物で、言葉の節節に出る金言に暫し耳を傾けた。米谷塾長や上村さんと出会えたことは今回の旅の収穫でもある。

 東京に戻るという気忙しい上村さんに熊本駅のレンタカー屋まで送って頂き、天草の横山武彦の墓へ向う。横山との思い出は尽きないが、今回は割愛する。

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 片道3時間、何処にも寄らずに往復したが、二日酔いでの6時間の運転はキツい。それでも天草の素晴らしい景色と、営業中にも拘らず横山の墓に案内してくれた「道食堂」の夫婦の人情に触れ、その疲れをも感じさせない天草の旅となった。

 熊本に戻り、その日は八代に泊ることに。野営の場所が見つからず、ネットでホテルを検索し、予約したホテルへ。そのホテルは八代の繁華街近くに在った。

 先ずはホテル内のコインランドリーで洗濯してから街に繰り出すことに。飲屋街はいい雰囲気を醸し出していて、呑兵衛の愚生には堪らない街だった。

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 翌日は八代駅から肥薩オレンジ鉄道で出水へ。出水から川内に。川内から鹿児島本線で伊集院へ。出水までの沿岸をのんびり走るその勇姿は究極のローカル線の旅と言ってもいいだろう。乗り合わせた電車にはクマモンも乗っていた(笑)

 出水で川内行きの鹿児島本線が来るまで待ち時間がある様なので、地図で回天特攻の殉国記念碑を探すも見つからず、諦めた。

 八代から伊集院まで電車で4時間。伊集院からバスに乗り換え、1時間ほどで加世田に到着。加世田から万世への乗り換えのバスが来るのは2時間後ということで、タクシーで移動した。八代から約6時間、やっと目的地の「万世特攻平和記念館」に到着した。感慨無量。

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 施設を見学。見学者は疎ら。この地から飛び立った福島県人の特攻隊員は6名。一人一人の顔を見ながら挨拶した。その後は、外に在る戦没者慰霊碑に向かい黙祷し、鎮魂と感謝の誠を捧げる。

 見学して気になったのは、いきなり展示してあった「日中戦争から太平洋戦争へ」という歴史年表のパネルや、何気に飾られてる「散華せしめた・・・」という軍部への批判を記た掛け軸で、「反戦」と「平和」を訴えたいのだろうが、この地で散華された英霊以外のものは外すべきだと思うし、現代の価値観や倫理観や歴史観で語り継ぐものでもないと感じる。

 その日は、タクシーで加世田に戻り、居酒屋で英霊に献杯し、程程呑んだ後、万世記念館傍の海浜公園まで戻り、今回初めての野営をした。

 翌朝、目覚めると辺りは未だ真っ暗で、東北の朝に慣れてる愚生としたら鹿児島の朝は遅く、漸く空が明るくなって来るのは6時をとうに回ってからだ。

 加世田に戻りバスで知覧に向うも、途中で降りればいいのに「富屋旅館」の前まで来てしまった。何やってんだか。

 途中ローソンでおにぎりで朝食を取り暫し休憩し、「特攻平和記念館」までの残り1キロを必死に歩いた。猛暑の中で20キロ背負っての歩きはキツイ。最後の上り坂はいい試練だった。

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 そんなこんなでどうにか記念館に到着。いつもの光景だが学生達の「平和学習」とやらで超満員。知覧へは富屋旅館に3回宿泊、記念館前の町営施設に1回、泊まらなかった今回を含めて2回の計6回訪問している。

 館内は煩い学生らから離れて巡った。英霊の遺書や遺影を目にすれば各各感じるところはあるだろうし、幼稚な平和主義や倫理観を強制するべからず。

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 遺書の中でも、いつも目に留まるのが、北海道出身の前田啓命の遺書、「俺が死んだら何人泣くべ」というもので、この書に込められた若者の渾身の悩みを、今を生きる我々がどうやれば分かち合えることが出来るのだろう。

 この涙悲しく 留まりて零るることなし。合掌。

 その後は何処に向かうかは決めていない。鹿屋基地へは交通事情が悪く、時間もないので今回は断念した。知覧から枕崎に向かおうかと思っていたが、枕崎行きのバスは夕方まで無く、喜入、指宿方面のバスに乗り込んだ。

 本当は枕崎線に乗り込み、特攻隊員らが最後に見たであろう開聞岳を眺めながら英霊を偲び、最南端の西大山駅でドラマ「青い鳥」の思い出に耽り、右翼活動家として期待を掛け、仕込んだつもりだった指宿出身のトンズラしてしまった若い衆・沖野政信の行く末を案じながらぐるっと指宿枕崎線の旅でも満喫しようかと思っていたが、結局は喜入駅から鹿児島中央駅へと降り立った。

 我が胸の熱き思いにくらぶれば煙りは薄し桜島山

 今日の桜島の噴煙はどうなっているのか楽しみではある。地元の人にとっては迷惑だろうが、鹿児島駅に降り立った暁には愚生の思いよりも遥かに高い噴煙を上げてて欲しいものだと思っていたがその期待空しく、残念ながら噴煙は上っておらず、降り立った駅前の気温は37℃を表示していた。

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 歩くのも流石にキツイということで、地元の後輩松田君おススメの中央駅前の「凪」にて、生ビールで一人安着祝い。そして天文館近くのホテルを予約した。

 後輩と待ち合わせした夕方まで休憩しようと思うが、身体は疲れているのに中々寝着かれず、夕方になってしまった。待ち合わせ時間までは未だ時間があるので、天文館の繁華街を探索した。こうした散策は実に楽しい。

 夕方、ホテルロビーで松田君と待ち合わせし、行きつけの店で御馳走になった後、待ち合わせ前にチェックしてて行きたかった店に付き合って貰った。

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 地鶏の店で、その名は「丸万」。宮崎にも在るというが、此処が本店じゃなかろうか。実にマニアックな店で、「週刊朝日で紹介された」とか、「日祝日休業」とあったのだが、日曜だったにも拘らずその日も営業していた。

 メニューは、海苔が大量に乗っかってる「鳥皮のポン酢」と「鳥もも焼き」と「貝汁」のみ。キュウリの一本漬けはサービス。

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 これが小汚い店と怪しげな店員の風体とは裏腹に、地鳥焼きは宮崎のそれを凌ぐ香ばしさで絶品。大正解の店でした。やはり、飲兵衛のカンは鋭い。その後、地元の老舗ラーメン屋で仕上げ、松田君とは再会を約束し別れた。

 寝れば疲れも取れるが、旅館やホテルでのベットはどうも熟睡出来ない。ベットで寝るなら野営でのマットと寝袋の方がまだ寝れる。でも如何せん肝臓が悪いのだろう、寝汗が酷く、それを乾かすのがまた面倒。

 何だかんだ言っても、オヤジ臭という加齢臭が漂う自分の布団で寝れば、そのアロマ効果からかやはり爆睡出来るもの(笑)

 一人旅をしていると、こうした普段の何気ない日常こそが本当の幸せなのだと改めて感じる。

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 翌朝、未だ薄暗い中、多くの維新の志士達も見たであろう桜島を見に出掛けた。地図で見るとそれほどでもないと思ったが、遠回りしたせいもあり、往復1時間ほどのウォーキングになった。でも、荷物を担いでないので苦にはならない。

 桜島を遠くに望む。山は落ち着き払っていたが、道路の所々には桜島の噴煙の痕があり、駐車中の車も噴煙だらけで地元の人の苦労を垣間見た。

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 日豊本線に乗り込み、錦江湾に聳え立つ桜島を眺めながら、宮崎へ。約2時間で到着。宮崎駅前のフェニックスが南国ムードを醸し出していた。

 駅中のカレー屋で店員おススメの「鳥南蛮カレー」を注文。当然ながら「生ビール」も。流石に鳥南蛮は絶品で、生ビールをお代わりしてしまった(笑)

 そうこうしてると待ち合わせした福田さんから連絡が入った。

 福田さんは「二十一世紀書院」社友会にも名を連ねている方なので、その代表の蜷川氏を飛び越して付き合うことは愚生の考える行動美学からはちょっとズレてるのだが、まあFacebookフレンドということで寛容に願いたい。

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 宮崎駅前で福田さんと待ち合わせ。福田さんは想像通り、爽やかな方で、海釣りで日焼けした顔は精悍そのもの。

 挨拶を済ませ車に乗り込むと、「夕方の飲み会まで時間がありますからそれまでドライブでも」ということで、宮崎を案内して頂くことに。

 宮崎の街並は想像以上に整備され、メインの道路には宮崎の象徴でもあるフェニックスが立ち並ぶ。鹿児島方面に向かうと、毎年ジャイアンツがキャンプをする球場が見えてきた。

 ジャイアンツファンというか長嶋ファンの愚生としても思い入れの強い場所だ。こういうカタチで実現出来るとは想像していなかった。

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 その後は道の駅「フェニックス」や日南海岸沿い絶景地を巡って頂き、回天特攻の訓練地だったという南郷湾内を眺め、そこに建つ慰霊碑で一礼。慰霊碑から望む湾の絶景を忘れることはないだろう。

 その後、いつかは行きたいと思っていた鵜戸神宮へも連れて行って頂いた。その後は、愈々福田邸へ。東京出身だという美人の奥様が出迎えてくれた。奥様の手料理は、仕出し屋顔負けのプロ級で、どれもこれも美味しく頂きました。翌朝の「冷や汁」という気遣いにも痛み入る。本当に有難い。

「男同士で飲む酒はたちまち通う息と熱」、さぁ先ず一献。ビールで乾杯し、前もって送っておいた日本酒で亦乾杯。間もなくして末期癌で「余命3ヵ月」と宣告された福田さんの知人の田上さんも参戦。田上さんは、自力で癌を克服したという人物で、その風体から、ただならぬ人生を送って来たのだろうと推察出来る。

 酒さえあれば言葉は要らぬが、酔いも回り始めると初対面とは思えぬ論戦で盛り上がり、気付けば福田さんはうたた寝状態。縁というのはホント異なもの味なものとはよく言ったもので人生経験豊かな二人の人柄に酔いました。

 翌日、バス発車の11時まで未だ時間があるということで、イザナギ、イザナミ縁の「御池」や「江田神社」を案内して頂いた。

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 江田神社の境内の大木は最近パワースポットで人気があるらしく、欲深い、いや、信心深い女性の皆さん方が、その大木をなでなでしてました。その所為で金運が付くという玉袋の様な瘤はテカテカ輝いていた(笑)

 11時のバスに乗り込み博多へ。博多へは約4時間の行程。途中、博多在住の後輩、坪井さんから連絡が入り、急遽、博多で待ち合わせ。

 その前にコインランドリーを探すも見つからず、体調を整える為にサウナで時間潰し。夕方から「藁巣坊」というチョッとした知り合いの店で一献。

 因みにつまみは、「わらすぼの干物」「ゴマ鯖」「餃子」「チャーシュー」「蟹汁」。そして〆はラーメン。相撲取りが馴染みの店とあって全部絶品だった。好物の「すっぽん鍋」もあり、次回は「すっぽん」と決めてたら、「うちはモツ鍋も美味いんですよ!」と聞き及び、ん~それも捨て難い(笑)

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 その後は、坪井さん行きつけのウイスキーバーの「LEICHHAEDT(ライカード)へ。中々のいい雰囲気の店で葉巻を燻らせながら他愛もない話で盛り上がった。残念ながら博多の夜は此処まで。

 慌ただしくタクシーで博多駅に向かい、大阪行きの高速バスに乗り込んだ。到着は約8時間後。乗り込むともうバスの旅も慣れたもので爆睡した。坪井さん、次回はじっくりやろう!

 大阪入りし、取り敢えず環状線に乗り込み「鶴橋」へ。コインランドリーを探して彷徨うも、上新町で漸く発見。隣は銭湯だし、言うことなし。

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 コインランドリーで洗濯する間、銭湯で疲れを癒す。さて、その後はどうするかと思いながらも、足は通天閣へ向かっていた。徒歩もどうにか慣れて、酷暑の中、約1時間ほどで到着。串揚げ屋の呼び込みからは完全にシカト。まぁ串揚げという気分じゃないので、「づぼらや」で生ビールと「上てっさ」でお疲れ~!

 夕方まで時間を潰し、和歌山から態態会いに来てくれるという菅原さんと上本町で待ち合わせ。菅原さんは僧侶であり、空手の師範でもあり、会った感想は想像通りの人物で、物静かで、滲み出る雰囲気は正しく沈勇を内に秘めた好漢。久しぶりに漢(おとこ)を見たと言った方が分かり易いか。

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 鶴橋の焼き肉屋で乾杯し、二件目は法善寺横丁のマニアックな路地裏に在る菅原さん馴染みのミナミのバー「tree」へ転戦した。

 マスターがまたいい雰囲気で、リーゼントに、どことなくインチキマジシャンにも見えなくもないが、その日は誕生日らしく、自分の孫と同じ誕生日に何か不思議な縁を感じ、いい酒と二人の人柄に酔わされた想い出の夜になった。

 夜は菅原さんが15年間も修行したという寺に泊まらせて頂いた。

 場所は以前、実家の友人らと泊ったことがある「大阪国際交流センター」の真ん前。寝る場所は、「皆空」の掛け軸が掲げられた大広間に一人。隣は墓なのだが、何故か今回の旅で初めて熟睡出来た。南無大師遍照金剛。

 本来ならば、九州から出雲へ渡り、出雲大社へ参詣し、その後は岡山の友人と先輩と一献し、香川の友人と久しぶりに会うのを愉しみにしていたが、出雲コースだと予定していた予算も足らなくなると判断し、急遽大阪へ、そして名古屋や三重にも立ち寄らず東京へ戻ることにした。

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 先週水曜日に自宅を出発し、九州へ上陸後、回天特攻が出撃した長崎県川棚町から始まり、鹿児島県出水市、加世田市万世、知覧町、宮崎県南郷と巡った放浪の旅の最後は靖國神社。社頭で、旅の無事と旅先での出会いに感謝し、今後の愚生の人生に加護賜わらんことを祈念し郡山に帰還した。

 今回の9泊(野営1泊、バス泊2日)10日の旅で、「人生とは正に邂逅の一言に尽きる」ということを熟熟痛感した。人との出会いは、その付き合いの長さではなく、深さなのだ。次回はいつになるか分からないが、また旅に出たいものだ。

 旅先で出会った方々の益々の御隆盛と御健康を願い擱筆します。また色々と応援して頂いた皆さん、本当に有難うございました。合掌、佐久間五郎拝。

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cordial8317 at 08:32│Comments(0)

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