1945年(昭和20年)9月2日、重光葵外相が降伏文書に調印神国日本の不滅を信せずに何が保守か、何が愛国者か

2013年09月06日

婚外子相続の最高裁違憲判決は「戸籍制度解体」への一里塚

「婚外子相続の民法規定は違憲」との最高裁判決が出た。案の定、売国マスコミは大歓迎し、谷垣禎一法相や菅義偉官房長官も「民法」改正を口にしているが、安易な改正は「夫婦別姓」と共に家族制度を崩壊させかねない危険を孕んでいる。

 平成10年以来、「民法の一部を改正する法律案」が国会に10数回提出されている。「選択的夫婦別姓制度」についても議論が成されているが、「夫婦相和し」を旨とする我が国には馴染まない制度の為に国民的合意には至っていない。

 我が国は「明治維新」以後、国民の全てに「姓」を与え、戸籍を整え、家族の絆の重要性を教えた。国民が家族の理想にしたのは、言うまでもなく皇室の家族の在り方である。正に、我が国の家族制度というのは、「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し」と、教育勅語でも示されている通り実に尊いものである。

 欧米の教育というのは個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみ。それ故、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れ、結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 我が国の個人主義は欧米とは違い、個人主義は極僅かであり、世代に亘る家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。

「夫婦別姓制」の導入を許せば家族の一体感を損ない、子供に与える精神的影響も大きく、事実婚を増加させて、離婚の増加や婚姻制度の崩壊を齎すのは明らかである。

 我が国は「一夫一婦制」だが、別姓が導入されれば実質的な「一夫多妻(一婦多夫)制」が可能となる。婚外子が実子と同じ相続権を得るなら、別姓は罷り通り、不倫なんぞ当たり前で倫理観や道徳観も低下して行くのは明らかである。

 既に「選択的夫婦別姓制度」を導入した、イタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では婚姻率が4割以上も減り、離婚率が倍となり、婚外子の割合が5割も増加し、従来の家族制度が崩壊した。「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大要因だった。

 抑々、婚姻に際し「氏」を変えることで職業上不都合が生じる人にとって、通称名として旧姓を使用することが今では一般化しており、婚姻に際して「氏」を変更するにしても、関係者知人に告知することに由り何の問題も生じることはない。

 また、「氏」を変えることにより自己喪失感を覚えるという訳の分からぬ意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、これは極めて一般的な普通の感覚だろう。

 夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、「別姓」が導入されて、別姓世代が続けば先祖代々に亘って続いて来た家系は確実に混乱して、日本の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、ひいては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至。

 仄聞されている様に、「選択的夫婦別姓導入が戸籍制度解体への一里塚」となる可能性は否定出来ないし、今回の違憲判決もその流れに沿うものだ。

 我が国の社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」である。戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動や、「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムであり、戸籍制度は結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担うと同時に、実は家族の一体感を維持する機能も有している。

 ところが、別姓推進派の中には「別姓導入は戸籍制度改廃への一里塚だ」との声が根強く存在するのは事実で、別姓するくらいなら結婚などしなきゃいいと思うが、あくまでもその目的が「戸籍法の改正」に在るのだとすれば合点が行く。

 推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を戦前の「家父長制度」の残滓と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や、欧米諸国を模した「個人登録制」に改めることを求めている。これはつまり、別姓導入によって「家族の絆」が弱まるだけではなく、別姓導入は初めから家族制度の解体を意図した策動とも言えるのだ。

 要は、「夫婦別姓」や「選択的夫婦別姓」は、別姓自体が目的ではなく、我が国の誇る戸籍制度そのものの崩壊を目論む策謀であると断じても過言ではない。

 現在は民法と戸籍法によって婚姻のときの氏の決め方が定められている。民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されている。つまり夫となる人、または妻となる人の何れか一方の「氏」を夫婦の氏とするということだ。 男性側の「氏」を強制してる訳ではない。

 この規定を大半の人は、「(夫婦の)片方が氏を変える」と理解しているが、「氏は自分個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも確かだろう。

 我が国の戸籍の「氏」というものは個人を表す名称ではない。明治維新以前には武士や大店の商人以外は氏などなく、愛称で呼んでいた。「明治維新」で、戸籍を整える為に新政府は全ての国民に「氏」を与え、国民は皇室を家族の理想とした。

 戸籍を見れば分かるが、戸籍の筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、「氏」は家族を表す名称なのだ。

 日本人の日本人らしさの根幹を為すのものこそ「戸籍制度」である。戸籍とは個人だけでなく、親兄弟や子といった、歴史の縦軸の中に生きるという制度であり、正に我が国の「戸籍制度」は世界に誇る制度であると言えよう。

 こうした問題が提起されると、必ずと言っていいほどマスコミや左翼御用達のインチキ有識者が登場し、「世界ではこうだ」とか、「何処ぞの国では」という愚論を垂れ流すが、他所の国なんぞどうでも好いではないか。日本は日本である。

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cordial8317 at 06:03│Comments(2)

この記事へのコメント

2. Posted by 秋子   2013年09月06日 13:20
爆ちゃん吼えるさま

いつも拝読させていただいております。

今日の「婚外子相続の最高裁違憲判決は「戸籍制度解体」への一里塚」に関連し、以下、ご存知なら、ご容赦下さいますようお願いいたします。

http://www.grn.janis.or.jp/~shogokun/
1. Posted by kmns   2013年09月06日 10:46
民法出でで忠孝亡ぶと言はれたのに、その民法が亡びさうな雲行き。今の御時勢にこのことを訴へるのは勇氣のゐることと敬服します。


小生は國語がほろびつつあることが氣になってゐます。メルマガ「頂門の一針」の八月二十日號にそのことを書きました。


なほ、ローマ字の方式のことについて八月二十七日二十八日號で論じた。女子バレーボール選手、姓と名(諱)とはっきりしない。我が國で First name と言へば姓のこと。諱で呼ぶのは既に着物を一枚脱ぐやうなものではないか。


故眞道重明先生のサイト(新字體で檢索されたし)の言葉の詮索(その3)に小文「姓名の順序とローマ字」があります。併せて御參照いただけますればさいはひです。

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