オバマの決意表明は重い。だってノーベル平和賞受賞者だもの(嗤)中華人民共和国は「中国」ではなく「支那(シナ)」こそ世界の共通語である

2013年09月02日

1945年(昭和20年)9月2日、重光葵外相が降伏文書に調印

20100919221854
 1945年(昭和20年)9月2日、東京湾上に停泊してた戦艦ミズーリの甲板上で重光葵(しげみつまもる)外相と梅津美次郎参謀総長が降伏文書に調印する。

 上海天長節爆弾事件で右足を失った重光全権は、ステッキを頼りに義足を引き摺りながら階段を喘ぎ喘ぎ上る。調印を前に一杯の水を所望するが、冷たく拒否された。卑怯者の「ジャップ」にやる水などないという米国人の憎悪が目に見える。

 これを遡ること昭和7年4月29日、重光は上海に於いて、駐中華民国公使として天長節奉祝式典に参列。国歌斉唱していた際に、朝鮮独立運動家・尹奉吉が爆弾を投擲するも、重光は逃げずにそのまま「君が代」を歌い続け片足を失った。

 重光はこの時を振り返りこう述べた。 「爆弾が投げられたのは分かっていたけれど国歌斉唱中なので動かなかった。動くのは不敬であると考えた」

 重光の隣で遭難し片目を失った海軍大将・野村吉三郎も、重光と同じ様に、「国歌斉唱中だったから」と逃げなかったその理由を語っている。

 後に外相や駐米大使となる野村や重光の様な、こうした覚悟というか、肝の据わった官僚や政治家がいないのは我が国の不幸とも言えよう。
 
 降伏文書によって我が国は負けを認めたが、先の戦争は決して間違いではない。だが、未だに大東亜戦争を「侵略戦争」だとか「太平洋戦争史観」から、アジアの人々に多大の迷惑を掛けたという認識の国民は少なくない。

 戦争の原因を「天皇である」とか、「軍部である」とか、「A級戦犯である」などと喧伝しているのは、無知に加えて先の大戦が起きてしまった原因や真犯人を隠し続けたい、左翼陣営の思惑も絡んでいるからだろう。

 戦争犯罪人は大日本帝国憲法でもなく、大日本帝国憲法での天皇の統帥権でもなく、況して軍部でもなければ当時の軍国主義や教育でもない。

 真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだのだ。

 多くの戦死者、戦災者を出し、日本の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本の共産主義者が仕組んだ共産革命の為の愚かな戦争だったことは、隠し様のない歴史的事実である。

 米国では、12月7日(現地時間)を「汚名の日(リメンバーパールハーバー)」として、我が国を騙し討ちした卑怯な国として糾弾して止まない。

 70年経った今でも依然として我が国は、「騙まし討ち」の汚名を着せられ続けているが、汚名を着せられた原因は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れた職務怠慢に他ならないが、抑抑、何故、開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが問題であり、それにはペリー来航時代に迄遡らなければ到底理解は出来まい。

 我が国は強力な中央集権国家を形成しようと明治維新の大業を成し遂げる。15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となっていく。その間に勃発した「日清・日露戦争」も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。

「日清・日露戦争」での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に植民地支配に喘ぐ有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議に出席する日本政府は、諸外国の要望もあり「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案する。

 しかし、議長を務める米国大統領ウイルソンが拒絶し否決される。「有色人種に人権など必要無い」との差別が横溢していたのは明らかだった。

 その後、世界は第二次世界大戦に突入し、日本もABCD包囲網や最後通牒を突き付けられ、最早生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断に至るのだ。

 今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」は、日本人への偏見と差別であり、先の大戦の過ちを反省すべきは我が国ではなく米国である。

cordial8317 at 19:28│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

オバマの決意表明は重い。だってノーベル平和賞受賞者だもの(嗤)中華人民共和国は「中国」ではなく「支那(シナ)」こそ世界の共通語である