日本の暑い夏は、悲憤慟哭・民族痛恨の夏でもある「はだしのゲン」には放送禁止用語や差別表現が満載

2013年08月21日

開国した日本が直面したのが「朝鮮半島匕首論」だった

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 画像は中共から見た日本。これを見れば一目瞭然で、何故に中共が沖縄や尖閣に拘るかが分かるだろう。太平洋に出るには日本が邪魔なのだ。

 朝鮮半島もまた日本に向かって伸びており、これが昔から言われる「朝鮮半島匕首(あいくち)論」というものだ。

 朝鮮半島は古来より、脇腹に突きつけられた匕首の様なもので、百済の白村江の敗戦で唐の侵攻に怯えた古代。二度に亘る蒙古襲来に見舞われた中世。日清・日露の宿命的な戦争を戦った近代。北朝鮮の暴発と中共の横暴を恐れる現代と、古来より朝鮮半島は地政学的に日本の弱点だった。

 開国前後の日本には、欧米列強が日本植民地の意図を持って押し寄せて来る。当時、有色人種の完全な主権国家は日本、トルコ、タイ、エチオピアの四ヵ国だけであり、世界は軍事力や経済力で他国や異文明を捩じ伏せ、植民地することが当り前の帝国主義の時代だった。

 約260年の鎖国から半ば無理矢理開国させられた日本が行く道は、白人の植民地となるか、有色人種初の帝国主義国家に生まれ変わるかのどちらの道しかなく、日本が選択したのは後者だった。

 明治維新をたった十数年で成し遂げ、欧米列強に付け入る隙を与えなかった明治政府は「富国強兵策」を展開し、「封建的農業国家」を一気に「帝国主義的近代工業国家」に改造したのである。

 不平等ながら欧米列強と開国条約を締結し、国際法的整備を終えた日本が直面したのが、この「朝鮮半島匕首論」だった。

 極東から遠い欧米列強よりも、支那かロシアが朝鮮半島を征すれば、日本の安全保障が危うくなるのは言うまでもないが、半島の主人公たる朝鮮の実情は支那の属国であり、朝鮮半島の安定を託す相手ではなかった。

 江戸の鎖国時代でも支那と朝鮮は交易を通じて分かってはいたが、ロシア帝国の強引な拡張主義は、江戸時代を通じて日本の恐怖の的だった。その象徴的な事件が1861年(文久元年)の「ロシア軍艦対馬占領事件」である。

 不凍港を求めて南下したロシアに因る対馬侵略だった。半年に亘る日本の抗議は聞き入れられず、最後はイギリス艦隊が圧力を掛けて排除した。

「力こそ正義」である事を思い知った日本は、以後、自らの安全保障の為に、宿命的な日清・日露戦争に向かって直走ることになって行く。

 我が国を侮蔑し続ける中韓との国交絶交を宣言することは容易だが、我が国の安全保障を考えたとき、やはり、これらの脅威に対抗出来る万全の国防体制と法整備を急がなければならないのは言うまでもない。

cordial8317 at 06:55│Comments(0)

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