日本人として「占守島の戦い」は決して忘れてはならない歴史である開国した日本が直面したのが「朝鮮半島匕首論」だった

2013年08月20日

日本の暑い夏は、悲憤慟哭・民族痛恨の夏でもある

「ヤルタ秘密協定」を忠実に守り、終戦間際に参戦した旧ソ連の鬼畜の如き蛮行で亡くなった方は、広島・長崎への原爆で亡くなられた数を遥かに超える。

 更に不当にシベリヤに抑留され、極寒の地で亡くなられた方も数え切れない。シベリアへ抑留された日本人同胞は、国内では約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多い。

 ロシアの資料でも約70万人、米国の資料では約90万人と言われているが、その中で亡くなられた方はどれ程に上るのか、「平和」を考える上でも、そうした正式な被害者数を調査すべきだろう。

 千島での「占守島の戦い」は昨日述べた通りだが、樺太でも同じ様にソ連からの猛攻によって約5700名の軍人や民間人が犠牲となった。

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 昭和20年8月20日には、樺太真岡郵便局局員の伊藤千枝(23歳)、可香谷シゲ(23歳)、沢田キミ(19歳)、志賀晴代(22歳)、高石みき(24歳)、高城淑子(19歳)、松橋みどり(17歳)、吉田八重子(21歳)、渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として壮絶な最後を遂げた。

 彼女達の最後の言葉は、「皆さん、これが最後です。さようなら。さようなら・・・」だったという。

 昭和49(1974)年。この彼女達の悲劇を伝えた映画「氷雪の門」の上映が決定されると、ソ連からの抗議を始め、ソ連共産党に与する日本社会党や日本共産党は「上映阻止!」を叫び猛反対、終には上映されることはなかった。

 外務省の外交文書には当時のロシアの蛮行が生々しく書かれている。 「ソ連兵は30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし邦人の所持品は一物をも残さず略奪し婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・」

 「ソ連進駐と共に市街の様は一変し、ソ連兵市内を横行し略奪を縦(ほしいまま)にして、9月1日女32名を監禁し、若き娘は毎日14,5名、年配の婦人は毎日10名交代に暴行を加えその結果6名は死亡し、然らざる者も負傷の為歩行の自由を失うに至る・・・」

 日本の暑い夏は、悲憤慟哭・民族痛恨の夏でもある。合掌。

cordial8317 at 07:08│Comments(2)

この記事へのコメント

2. Posted by 佐久間五郎   2013年08月20日 10:17
団体を辞し、蟄居して4年。「躍進・日本」という政治団体を立ち上げたいと思っています。将来的には青少年育成の錬成道場というか施設を創ろうと思っていますが、如何せん支援者不足の為に儘為らず。

講演会は呼ばれれば何処にでも行きます。但し、講演料と要交通費(笑)
1. Posted by 雪   2013年08月20日 09:44
愛国啓蒙活動お疲れ様です。

全くの素人ですので、失礼があればお許し下さい。

五郎さんはご自身で新しい右翼団体を立ち上げたり、後継を育てる勉強会などはされていますか?

もし講演会など開催されているようでしたらお知らせ下さい。

お身体にお気をつけて、これからもご活躍を期待しています。

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