先人が遺した「誇り高き日本精神」こそ忘れてはならない日本の暑い夏は、悲憤慟哭・民族痛恨の夏でもある

2013年08月19日

日本人として「占守島の戦い」は決して忘れてはならない歴史である

 昭和20年8月18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸を開始し攻撃を仕掛けてきた。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結。日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。

 この占守島の戦いによりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があったのだ。

 この戦いの後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうしたシベリアへの強制連行という仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 ソ連は占守島の兵隊だけではなく、その他の千島列島の地域からも軍人、軍属、一般人80万人以上をシベリアへ強制連行し、不当に抑留した。実にこの半数以上の同胞が酷寒の地で凍死、餓死で亡くなられている。

 そういう意味では原爆投下を実行したアメリカもそうだが、非戦闘員の殺戮にしても、シベリアへの強制連行にしても国際法違反であり、戦勝国と雖もこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。

 況してや終戦間際に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではない。ソ連の参戦は、「ヤルタ秘密協定」での約束の実行だが、「ヤルタ協定」こそが国際法的にも意味を成さないものだ。

 この協定は1945年(昭和20年)2月に、ルーズベルト、スターリン、チャーチルがクリミア諸島のヤルタで会談し、ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では「ソ連が戦争に参戦」「南樺太をソ連に返還」「千島列島をソ連に引き渡す」などが決められ、これに従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦した。

 歴史を紐解く上でも、或いはソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、世界に訴えるべきであろう。

 日本人として「占守島の戦い」は決して忘れてはならない歴史である。皆さん、「永遠の0」もいいですが、「終わらざる夏」も是非ご一読を!

cordial8317 at 07:57│Comments(0)

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