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2022年08月19日

「占守島の戦い」は決して忘れてはならない日本の歴史である

 昭和20年8月15日を以て戦争が終わった訳ではない。18日の午前1時頃、占守島の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸を開始し攻撃を仕掛けてきた。ポツダム宣言受諾で武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、自衛戦闘を開始した。

 この千島列島最北端での戦闘での日本軍の死傷者は約600名に上り、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ、戦闘が終結した。日本軍が武装解除を終えたのは戦闘終結3日後の24日だった。

「占守島の戦い」に拠り、ソ連軍の千島列島の占領は遅滞された。その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道や日本の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があったのだ。

 この戦いの後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てと民間人がシベリアに強制連行されることとなった。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした酷寒の地であったシベリアへの強制連行という仕打ちさえも「無条件降伏の無条件のうちだ」と信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容したのである。

 ソ連は占守島の兵隊だけではなく、その他の千島列島の地域からも、軍人や軍属の他に従軍看護婦や一般人80万人以上をシベリアへ強制連行し不当に抑留した。実に連行された半数以上の同胞が酷寒の地で凍死、餓死で亡くなられている。

 そういう意味では、原爆投下を実行したアメリカの都市部への絨毯爆撃に因る非戦闘員の殺戮にしても、シベリアへの強制連行にしても国際法違反であって、戦勝国と雖もこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。

 況してや、「日ソ中立条約」という国際法規を蹂躙して終戦間際に戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではない。ソ連の参戦は「ヤルタ秘密協定」での約束の実行だが、「ヤルタ協定」こそが国際法的にも意味を成さないものである。

 この協定は、1945年(昭和20年)2月に、ルーズベルト、スターリン、チャーチルがクリミア諸島のヤルタで会談し、その際にルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では「ソ連が戦争に参戦」「南樺太をソ連に返還」「千島列島をソ連に引き渡す」などが決められ、これに従ってドイツが無条件降伏した約3ヶ月後の昭和20年8月9日、ソ連は国際条約の「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦した。

 第二次世界大戦や歴史を紐解く上でも、米英の日本に対する人種差別も然ること乍ら、ソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、世界に訴えるべきであろう。

 日本人として「占守島の戦い」は決して忘れてはならない歴史である。占守島で起こった戦闘や歴史を知るには浅田次郎著「終わらざる夏」がおススメです。

 占守島の戦いを始め、北方領土や南樺太でのソ連軍の凌辱と虐殺などの筆舌に尽くし難い悲劇は、現代の平和を謳歌している我々が決して忘れてはならない歴史であり、断じて8月15日が「終戦の日」ではない何よりの証でもある。

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cordial8317 at 06:14│Comments(0)

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