靖國神社に眠る神霊の時代を超えた囁きに耳を傾けることこそ大事である中韓との国交を断絶せよ!とは言うは易く行うは難し

2013年08月11日

政治家は大東亜戦争を検証することで権利と義務を果たせ!

 夏になるとマスコミ各社は、安っぽい「平和主義」の主張キャンペーンを垂れ流す。地元紙も御多分に漏れず、「ジュニア新聞」という頁で、「太平洋戦争・勝ち目ないまま続ける」というタイトルが書かれ、如何にも先の大戦が愚かな戦争であり、当時の軍部と政府を批判している。

 記事の編集は共同通信の記者で、NHKの「子どもニュース」もそうだが、こうした現代の価値観や倫理観で先の大戦を批判することに意味は無く、これもまた戦後、米国が行った日本国民へ贖罪意識を植え付ける為の民主教育の遺物であろう。

 大東亜戦争を「侵略戦争」であり、アジアの人々に多大の迷惑を掛けたと罵り、戦争の原因を天皇であるとか、軍部であるとか、A級戦犯であるなどと喧伝しているのは、無知に加え、大戦の原因や犯人を隠し続けたいからだろう。

 戦争犯罪人は大日本帝国憲法でもなく、統帥権でもなく、況して軍部でもなければ日本の軍国主義でもない。真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らだったということは今や歴史的事実だ。

 多くの戦死者、戦災者を出し、我が国の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルン(共産党)と中国共産党、そして日本国内で蠢いていた共産主義者が仕組んだ共産革命の為の愚かな戦争だったのだ。

 大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者の策謀にまんまと嵌ってしまった戦争とも言えるのだ。

 その視点に立った時、我々は何を成すべきか。大東亜戦争自体、決して恥ずべきものではない。我が国はアジアの星だったのは紛れもない事実。

 未だ先の大戦を「侵略戦争」と宣い、「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵り続けるが、日本はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた連合国と戦いに臨んだのだ。それでも我が国が悪いというのか。

 ならばその償いは、戦後のアジア各地に共産主義の跳梁跋扈を許したことであり、償いはその共産主義を失くすことだろう。

 歴史に「もし」ということはないが、日米が戦わず、蒋介石との和平が実現していれば満州国は保全され、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。

 そうすれば中国共産党の大躍進や文化大革命や天安門事件も起きなかったし、北朝鮮の独裁政治も拉致事件も起きなかったのだ。

 もう直ぐ終戦の日を迎えるが、果たして歴代政府や政治家が公正且つ公平な目で大東亜戦争に至る歴史を検証したことがあるだろうか。

 経済復興や景気対策といった目先のことばかりが優先され、中韓からの要らぬ抗議を避ける為に謝罪や譲歩を続けていただけではないのか。

  如何なる国家も、その国家の為に殉じた人々に対して敬意を払う権利と義務がある。国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げる事は世界の何処の国でも当然のことなのだ。

 靖國神社の在り様を思う時、我が国の政治家が国家に殉じた英霊に敬意を示さない姿は、とても義務を果たしているとは思えない。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いていることか政治家は省みたこともあるまい。

 愛国心の欠落とその結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、長幼の序を忘れた若者ら等々、我が国の社会に蔓延する問題の全てはそこに起因していると言っても過言ではない。

 靖國神社には、所謂「A級戦犯」として処刑された東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7名。

 所謂「B・C級戦犯」は1068が御祭神であり、それ以外リンチに等しいもので亡くなった方が約100名が祀られている。

「愚かな戦争」と断じることは容易だが、東京裁判の茶番劇で、或いは外国の地で、言い訳もせず、その罪を償ってくれた方々の命は軽いものではない。

 今に生きる我々は、「戦犯」との汚名を着せられながらも、判決を諒として、一身にその罪を償ってくれたという事実を忘れてしまっているのではなかろうか。

cordial8317 at 06:18│Comments(0)

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