拉致問題が急転直下解決されることを願うばかり歴史は歴史家に任せればいいというものではない

2013年05月27日

今日は「海軍記念日」に亡き父を偲ぶ

 今日5月27日は「海軍記念日」である。明治38年5月27日、日露戦争に於ける海上での最大の戦いだった「日本海海戦」が行われ、東郷元帥率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃滅し、日本海軍が奇跡的な大勝利を収めた日である。

 日露戦争の勝利は欧米列強に日本の地位を認めさせることとなり、幕末以来からの懸案事項だった不平等条約の改定、畢竟、明治維新の真の目的であった「治外法権」「関税自主権」という二つの不平等条約の克服を達成することになった。

 日清・日露戦争勝利に拠り「治外法権」「関税自主権」の回復が成されたことで、明治維新の大業は成就し、我が国は真に独立を恢復することが出来たのである。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種が白人に勝利することに由って、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てたことだろう。日露戦争での我が国の勝利とは、世界の有色民族や搾取され続けていた植民地にとっても誠に大きな意義を持つものだった。

 そうした先人の努力と苦労の上に日本国が成り立っていることに感謝せずにはいられない。今日5月27日は父の命日でもある。亡き父は昭和3年生まれ、成績優秀乍ら家庭は赤貧で進学など出来るものではなく、尋常高等小学校を卒業すると15歳で海軍に入隊、横須賀海軍工廠で大日本帝国海軍軍人としての人生が始まった。

 その後、土浦の予科練を経て終戦。想い出の相模原で土木作業員として従事し資金を貯め、郷土に帰還後は古着屋の「相模屋」を起業し、後に倒産の憂き目に。

 その倒産後間もなく、父は何処から聞き齧って来たのか、「これからはカ・ソ・ラ時代だ(カレー・そば・ラーメン)」と、50年近く前に背負った数千万という負債にめげずにラーメン屋を開業。町会議員も5期務め、地方自治に貢献した。

 今思えば破天荒なオヤジだった。生前に、20代で起業したことや海軍時代の思い出を詳しく聞いた事が無かったことが返す返すも残念ではあるが、実家の屋号の「相模屋」という名前を見れば、横須賀や相模原への思い入れが深かったことが分かる。

 厳しかったその父が5月27日に亡くなった。海軍軍人だった父が「海軍記念日」に逝くとは、海軍との縁を感じ決して忘れることはない。南無大師遍照金剛。

cordial8317 at 07:06│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

拉致問題が急転直下解決されることを願うばかり歴史は歴史家に任せればいいというものではない