民主党の愚策である「観光立国」を強化する安倍政権今日は「海軍記念日」に亡き父を偲ぶ

2013年05月23日

拉致問題が急転直下解決されることを願うばかり

 飯島勲内閣官房参与の訪朝は様々な憶測を呼んでいる。飯島参与が「事務的手続きは全て済んだ。後は安倍首相の判断だ」と語っている様に、北朝鮮側とツッコんだ話し合いをしてきたことを窺わせており、これを機に拉致問題が進展し、日本人同胞が無事帰国出来ることを願うばかりだが、恐らくは飯島の勘違いが大きい。

 拉致問題を、戦前日本が行った「徴用」を「強制連行」と混同し、「拉致なんぞ日本のやった行為に比べれば大したことではない」と言って憚らない輩がいるのは実に困ったもので、また「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせる為に連れて来た人達だ」と信じて止まない日本人も少なくないには驚く。

 昭和34(1959)年に外務省は、「在日朝鮮人の引揚に関する経緯」について、戦時中に徴用労務者として日本に来た者は「245人」と発表しているが、当時の朝日新聞でもそれを詳しく報じている。その245人は戦後には全員帰国している。

 戦時徴用とは、昭和13年の国家総動員法に基づく「徴用令」を指すが、戦中日本本土では中高年、婦人、学生に至るまで工場他に動員され生産に従事した。日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務である。

 我が国の統治に拠って多大な恩恵を受けていた朝鮮人や台湾人は、当時は外国人ではなく日本国民であった以上、これに協力する義務があったことは言う迄もない。日本人も等しく戦時徴用されていたのであり、韓国や北朝鮮が主張する強制連行とは全く異なるもので、然も彼らが徴用されたのは終戦の前年から僅かな期間だけだ。

「徴用」を「強制連行」とし、北朝鮮の「拉致」と同一視し批判しているバカがいるのには驚くが、在日らに与し、日本悪玉論を垂れ流す無知蒙昧の徒には厭きれるばかり。抑抑、「強制連行」というものは存在せず、在日の都合の良い造語に過ぎない。然も、戦時徴用で来日した朝鮮人は、僅かに245人だけだったのだ。

「強制連行された」との嘘を並べ日本国内に居座っている在日や、若しくは祖先の殆どが、戦前、戦中に職を求めて来日したり、朝鮮戦争勃発で祖国に貢献することなく、命惜しさに密航して来たかのどちらかなのである。

「済州島四・三事件」が起きて密航した朝鮮人もいるが、そうした経緯があったにせよ日本に居座る理由にはならない。逆に言えばそうした難民を受け入れた日本は人道的に素晴らしい国であって、感謝されることはあっても批判される筋合いはない。

 在日は「自分達は被害者だ」と宣って憚らないが、何のことはない外国人の彼らにとって日本が住み易いから居座ってるだけで、どんな理由も付けたりに過ぎない。在日が殖え続け、在日特権が次々と与えられて行くのは、我が国の主権回復前に李承晩がどさくさに紛れて竹島を不法占拠したことがきっかけだった。

 戦後、所謂「李承晩ライン」を侵犯したとして多くの日本人漁師が拿捕された。韓国政府は、抑留された同胞と引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を要求すると、日本政府は已む無くその要求に応じた。この譲歩が更なる譲歩を生む悪しき前例となって行った。

 以来、在日へあらゆる特権が与えられ、現在に引き継がれている。戦後、日本は「在日朝鮮人」に対して対応が甘く、あらゆる特権を与え過ぎてしまったのだ。

 在日の問題を看過することは我が国の将来に禍根を残すことになる。今や永住外国人は在日を抜いて支那人が断トツ。在日の通名問題や帰化問題は、支那人永住者にも繋がる重要な問題なのだ「在日朝鮮人」も「支那人」も外国人として対応するべきで、日本人との区別を付ける為にも「通名」の使用を禁止させるべき。

 国家の方針として国際テロや日本人拉致を実行し、麻薬や覚醒剤を生産して密輸し、ニセ札をばら撒く犯罪国家北朝鮮を擁護する輩の無知蒙昧は嗤うしかないが、拉致問題の解決は北朝鮮にとっても多くの効果を齎すだろうに、全ては金正恩の腹次第ということだろうか。拉致問題が急転直下、解決されることを願うばかり。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 12:26│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

民主党の愚策である「観光立国」を強化する安倍政権今日は「海軍記念日」に亡き父を偲ぶ