2013年05月01日
なにごとの おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる
GWの29日の「昭和の日」に合わせて伊勢神宮参拝を計画した。愚妻と遠出するのは結婚以来初めてのこと。28日の早朝に、購入したての愛車フィアット・アッズーラ・チンクエチェントに乗り込みいざ出発。先ずは喜多方の「喜一」で朝ラー。
未だ朝の7時チョッと過ぎだというのに超満員で、席に案内されるまで40分を要した。その後は、富山県の庄川を目指し北陸道を南下する。大学時代の卒論テーマは「庄川の河道計画に関する研究」。だが、現地を訪れることはしなかった。
「いつかは庄川へ行きたい」と思いつつも、卒業から30年も経ってしまった。喜多方から約4時間ほどで富山入りし、先ずは「富山ブラック」ということで、地元でも人気という「喜八」さんへ行ってみることに。朝は「喜一」で昼「喜八」(笑)
別にそういうので選んだ訳ではないが、目当ての富山ブラックラーメンはメンマが塩抜きしていないのだろう嫌味なしょっぱさ郡山ブラックの方がコクもあり美味しいと思うが、富山のソウルフードは流石に強烈なインパクトを残した。
その日は庄川の畔に建つ薬師温泉「庄永閣」に宿泊することに。旅館に到着するとFBFで国士舘大学の黒川先輩から日本酒の差し入れが届いてたことに甚く感動。
旅館の作りにしろ、料理にしろ、派手さはないが、仄仄とした実に仄々とした好い旅館だった。秋の紅葉シーズンは最高だろう。またいつか訪れたいものだ。
翌日、朝風呂と朝食を済ませて、庄川沿いを南下し一路伊勢神宮を目指す。途中、世界遺産の白川・五箇山集落を見物し、名古屋を通過した頃は昼どきとなってた。名古屋と言えば「ひつまぶし」ということで食べログでヒットした「備長」へ。
江戸前の蒸した蒲焼きも好いが、カリッと焼いた鰻も香ばしくて美味しい。先ずはそのままで、次は薬味を載せて、そして3杯目は茶漬けで。まぁ感激する程ではないが、もうチョッと安くはならないものか。昼食を済ませていざ伊勢へ。
到着したのは14時近く。伊勢神宮の正式名称は「神宮」。神路山の皇大神宮(内宮)と高倉山の豊受大神宮(外宮)の両正宮からなる。両宮の間は約5キロ離れており、外宮から先に参拝するのが古来からの習わしだが、今回は内宮から参拝した。
29日は「昭和の日」だが、所謂A級戦犯の方々が「死刑」の求刑をされた日でもある。そして処刑されたのが今上陛下生誕日の12月23日。この事実をしても米英の非情さが分かるというもの。米国に国家の大本を委ねた儘で何が「主権回復」か。
実に嘆かわしいことだ。本社を前にし昭和天皇の御遺徳を偲ぶと共に、皇室の弥栄と心願成就を謹んで祈願した。内宮は垂仁(すいにん)天皇の時代(3世紀後半)、宮中に祀られていた天照大御神をこの地に移した時を創祀とする。
我が国の祖神として、あらゆる神徳がある。五十鈴川の清流に架かる宇治橋を渡ると内宮の神苑。参道は深い森に囲まれ静謐且つ荘厳な雰囲気に満ちている。
なにごとの おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる(西行)
神様を拝むには心身を清めることが大事で、どの宗教もそうだが、特に神道では清浄という「禊(みそぎ)」を尊ぶ。神宮に橋が無かった時代、参拝する為には必ず歩いて五十鈴川を渡らなければならず、自然に禊が出来る様になっていた。
現代では川などで禊をしてからということが難しいので、神社には参道に「手水舎(てみずや)」が置かれ、ここで身を清める。手水舎は「禊」の場所であり、神社では重要な場所なのだが、手や口も清めずに本殿に参じることはイケません。
翌日早朝に参拝した外宮は、内宮の創始から約500年後に丹波の国から移された社だ。祭神の豊受大御神は、穀物神で天照大御神の食物を調達するという意味がある。内宮より明るく開放的な雰囲気で親しみ易さを感じさせてくれる。
神宮は内宮に「天照大御神」を、外宮に「豊受大神宮」を祀る。社殿は日本最古の建築様式の一つ「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」で、檜を素材にして清楚な佇まいを見せている。質素乍らも荘厳な神社である。
伊勢神宮は1年中が祭りが行われ、全て合わせると365日に千数百に及ぶという。中でも祈年、神御衣、月次、神嘗、新嘗は五大祭として盛大に執り行われる。
日本人なら「お伊勢参り」は一生に一度はしたいものだ。おはらい町に在る「おかげ横丁」はそんなお伊勢参りの人達で連日賑わっているが、自然発生的にこうして全国から詣でる姿を見れば、日本というのは未だ未だ大丈夫だと痛感する。
神宮の社殿は20年毎に造り替える「式年遷宮」の制度があり、今年がその遷宮の年に当たる。今年は例年より更に多くの善男善女が訪れることだろう。愚生も次の式年遷宮には是非とも参加してみたいと思っているが20年毎じゃ無理だわな(笑)
日本というのは伝統を重んじるが、それと同時に新しいものから息吹を頂き、それを活かすという独特の風土がある。「式年遷宮」もそういう意味があるという。
この「遷宮」を最初に行ったのが持統天皇である。最近は「愛国」ブームだというが、この「愛国」という言葉を最初に使った人物こそ持統天皇である。
「愛国」の由来は「日本書記・第三十三巻」に在る、「朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠」という勅語だ。その意味は、「我(朕)は、貴男が廷を尊び、天皇国を思い、己を売ってまで忠誠を示したことを(顕・あきらかにした)嬉しく思う(嘉・よろこぶ)」である。一般個人に与えたられた勅語はこれ以外にない。
天智2年(663年)唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めると、中大兄皇子(天智天皇)を中心とするヤマト朝廷は全国から傭兵。凡そ5万の援軍を送るも、「白村江の海戦」で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。
その捕虜の一人であった大伴部博麻は、「唐が日本を攻める」という情報を得るも、日本に知らせる術はなく、自らを奴隷に売って資金を捻出して、仲間を帰国させて日本に危機を知らせる。これ持統4年(689年)のことである。
奴隷となった博麻が帰国したのは何とその30年後。帰国後、持統天皇が博麻を表彰した際に送ったその言葉が前出の「愛国」の勅語だったのである。
日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として、「愛国心」は最も相応しい言葉だと思うが、三島由紀夫は、「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。『大和魂』で十分ではないか」と語ったが、最近の安っぽい流行りの「愛国ブーム」を見てると三島の言葉が重く圧し掛かる。
話しが変わるが、伊勢神宮の参拝は「二礼二拍手一礼」ではなく、「八度拝八開手」と称して、拝を八回行い、拍手を八回打つ作法なのだが、二礼八拍手や二礼二拍手でも好いらしい。こうしたことでも神道とは大らかなものだと痛感する。
二日目の度は外宮近くに「紅葉軒」という旅館に宿泊した。国士舘故に「紅葉」とかには直ぐ反応してしまう。レトロな旅館だが雰囲気もよく、料理も美味しいし、外宮の傍という便利さで、機会があれば次回も利用したいと思っている。
翌日は鳥羽を経由して帰路に就いた。二泊三日で約1500キロに及ぶ旅も無事帰還しました。チンクエチェントは運転してても愉しい車だった。長距離を走って大満足の夫婦旅行だったがローンの支払いは5月末からなんだよなぁ(笑)
そんな訳で今日は朔日、神棚の御札を伊勢神宮で買って来た新しいものに替え、皇室の弥栄と心願成就を祈る。そういや赤福の朔日餅が食べてみたかったな。
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未だ朝の7時チョッと過ぎだというのに超満員で、席に案内されるまで40分を要した。その後は、富山県の庄川を目指し北陸道を南下する。大学時代の卒論テーマは「庄川の河道計画に関する研究」。だが、現地を訪れることはしなかった。
「いつかは庄川へ行きたい」と思いつつも、卒業から30年も経ってしまった。喜多方から約4時間ほどで富山入りし、先ずは「富山ブラック」ということで、地元でも人気という「喜八」さんへ行ってみることに。朝は「喜一」で昼「喜八」(笑)
別にそういうので選んだ訳ではないが、目当ての富山ブラックラーメンはメンマが塩抜きしていないのだろう嫌味なしょっぱさ郡山ブラックの方がコクもあり美味しいと思うが、富山のソウルフードは流石に強烈なインパクトを残した。
その日は庄川の畔に建つ薬師温泉「庄永閣」に宿泊することに。旅館に到着するとFBFで国士舘大学の黒川先輩から日本酒の差し入れが届いてたことに甚く感動。
旅館の作りにしろ、料理にしろ、派手さはないが、仄仄とした実に仄々とした好い旅館だった。秋の紅葉シーズンは最高だろう。またいつか訪れたいものだ。
翌日、朝風呂と朝食を済ませて、庄川沿いを南下し一路伊勢神宮を目指す。途中、世界遺産の白川・五箇山集落を見物し、名古屋を通過した頃は昼どきとなってた。名古屋と言えば「ひつまぶし」ということで食べログでヒットした「備長」へ。
江戸前の蒸した蒲焼きも好いが、カリッと焼いた鰻も香ばしくて美味しい。先ずはそのままで、次は薬味を載せて、そして3杯目は茶漬けで。まぁ感激する程ではないが、もうチョッと安くはならないものか。昼食を済ませていざ伊勢へ。
到着したのは14時近く。伊勢神宮の正式名称は「神宮」。神路山の皇大神宮(内宮)と高倉山の豊受大神宮(外宮)の両正宮からなる。両宮の間は約5キロ離れており、外宮から先に参拝するのが古来からの習わしだが、今回は内宮から参拝した。
29日は「昭和の日」だが、所謂A級戦犯の方々が「死刑」の求刑をされた日でもある。そして処刑されたのが今上陛下生誕日の12月23日。この事実をしても米英の非情さが分かるというもの。米国に国家の大本を委ねた儘で何が「主権回復」か。
実に嘆かわしいことだ。本社を前にし昭和天皇の御遺徳を偲ぶと共に、皇室の弥栄と心願成就を謹んで祈願した。内宮は垂仁(すいにん)天皇の時代(3世紀後半)、宮中に祀られていた天照大御神をこの地に移した時を創祀とする。
我が国の祖神として、あらゆる神徳がある。五十鈴川の清流に架かる宇治橋を渡ると内宮の神苑。参道は深い森に囲まれ静謐且つ荘厳な雰囲気に満ちている。
なにごとの おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる(西行)
神様を拝むには心身を清めることが大事で、どの宗教もそうだが、特に神道では清浄という「禊(みそぎ)」を尊ぶ。神宮に橋が無かった時代、参拝する為には必ず歩いて五十鈴川を渡らなければならず、自然に禊が出来る様になっていた。
現代では川などで禊をしてからということが難しいので、神社には参道に「手水舎(てみずや)」が置かれ、ここで身を清める。手水舎は「禊」の場所であり、神社では重要な場所なのだが、手や口も清めずに本殿に参じることはイケません。
翌日早朝に参拝した外宮は、内宮の創始から約500年後に丹波の国から移された社だ。祭神の豊受大御神は、穀物神で天照大御神の食物を調達するという意味がある。内宮より明るく開放的な雰囲気で親しみ易さを感じさせてくれる。
神宮は内宮に「天照大御神」を、外宮に「豊受大神宮」を祀る。社殿は日本最古の建築様式の一つ「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」で、檜を素材にして清楚な佇まいを見せている。質素乍らも荘厳な神社である。
伊勢神宮は1年中が祭りが行われ、全て合わせると365日に千数百に及ぶという。中でも祈年、神御衣、月次、神嘗、新嘗は五大祭として盛大に執り行われる。
日本人なら「お伊勢参り」は一生に一度はしたいものだ。おはらい町に在る「おかげ横丁」はそんなお伊勢参りの人達で連日賑わっているが、自然発生的にこうして全国から詣でる姿を見れば、日本というのは未だ未だ大丈夫だと痛感する。
神宮の社殿は20年毎に造り替える「式年遷宮」の制度があり、今年がその遷宮の年に当たる。今年は例年より更に多くの善男善女が訪れることだろう。愚生も次の式年遷宮には是非とも参加してみたいと思っているが20年毎じゃ無理だわな(笑)
日本というのは伝統を重んじるが、それと同時に新しいものから息吹を頂き、それを活かすという独特の風土がある。「式年遷宮」もそういう意味があるという。
この「遷宮」を最初に行ったのが持統天皇である。最近は「愛国」ブームだというが、この「愛国」という言葉を最初に使った人物こそ持統天皇である。
「愛国」の由来は「日本書記・第三十三巻」に在る、「朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠」という勅語だ。その意味は、「我(朕)は、貴男が廷を尊び、天皇国を思い、己を売ってまで忠誠を示したことを(顕・あきらかにした)嬉しく思う(嘉・よろこぶ)」である。一般個人に与えたられた勅語はこれ以外にない。
天智2年(663年)唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めると、中大兄皇子(天智天皇)を中心とするヤマト朝廷は全国から傭兵。凡そ5万の援軍を送るも、「白村江の海戦」で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。
その捕虜の一人であった大伴部博麻は、「唐が日本を攻める」という情報を得るも、日本に知らせる術はなく、自らを奴隷に売って資金を捻出して、仲間を帰国させて日本に危機を知らせる。これ持統4年(689年)のことである。
奴隷となった博麻が帰国したのは何とその30年後。帰国後、持統天皇が博麻を表彰した際に送ったその言葉が前出の「愛国」の勅語だったのである。
日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として、「愛国心」は最も相応しい言葉だと思うが、三島由紀夫は、「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。『大和魂』で十分ではないか」と語ったが、最近の安っぽい流行りの「愛国ブーム」を見てると三島の言葉が重く圧し掛かる。
話しが変わるが、伊勢神宮の参拝は「二礼二拍手一礼」ではなく、「八度拝八開手」と称して、拝を八回行い、拍手を八回打つ作法なのだが、二礼八拍手や二礼二拍手でも好いらしい。こうしたことでも神道とは大らかなものだと痛感する。
二日目の度は外宮近くに「紅葉軒」という旅館に宿泊した。国士舘故に「紅葉」とかには直ぐ反応してしまう。レトロな旅館だが雰囲気もよく、料理も美味しいし、外宮の傍という便利さで、機会があれば次回も利用したいと思っている。
翌日は鳥羽を経由して帰路に就いた。二泊三日で約1500キロに及ぶ旅も無事帰還しました。チンクエチェントは運転してても愉しい車だった。長距離を走って大満足の夫婦旅行だったがローンの支払いは5月末からなんだよなぁ(笑)
そんな訳で今日は朔日、神棚の御札を伊勢神宮で買って来た新しいものに替え、皇室の弥栄と心願成就を祈る。そういや赤福の朔日餅が食べてみたかったな。
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cordial8317 at 19:06│Comments(0)
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