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2013年03月11日

3.11は心静かに犠牲になられた方々に哀悼の意を表そう!

 二年前の今日、午後2時45分、国会中継を見ていると「緊急地震速報」のテロップが流れてその数秒後、「ゴー」という不気味な地響きと共に部屋が大きく揺れた。

 直ぐに止むと思っていたその揺れは収まるどころか更に強まり、あっという間に部屋中の物が散乱した。経験したことのない長くて強い揺れだった。

 数十秒の間隔を置いて約5分間激震が続いた。近所の人達も集まって不安げに推移を見守っていたが、16歳過ぎた老犬を抱いて家を出ようと思ったが借家は「ペット禁止」、出ることも儘ならない。揺れが収まるの部屋でをじっと待った。

 未だ強い余震の続く中で、部屋を見渡すと「足の踏み場もない」とはこのこと、物は散乱し、天井は歪み、サッシ戸や窓という窓は殆どが開き放しで、風呂場の壁は剥がれ落ちた。そんな中でもケガもなく無事だったのは幸いだった。

 愚妻に連絡を取るも携帯は繋がらない。mixiやtwitterなどのSNSをやらせとけばと悔やんだが仕方ない。散乱した物を少しずつ片付けながら帰りを待っていると数時間後、倅夫婦と孫を連れて帰って来た。皆の無事な様子に安堵したものだ。

 倅夫婦の住まいも古い家屋なので倒壊するのではと地震の直後に外に出たそうだ。着のみ着の儘で出て来た為に、生まれたばかりの孫のミルクも哺乳瓶もオムツも持ち出す余裕も無く、それでは近所のツルハドラッグに行った。

 散乱している中で必要な物を探しレジに持っていくと、店員が「こういう状況なので御代は落ち着いてからで結構です。困ってる時は御互い様です。また来店して下さい。御代はその時にでも」との言葉に甚く感動したのを思い出す。

 震災後、「絆」という言葉が合言葉になり、陛下も「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」と思し召し遊ばされた。

 だが、被災者は「絆」をいいことに、甘え過ぎてはいないだろうか。被災者は仮設住宅での生活の不満を口にするが、福島県の被災者は原発事故もあって東電からの補償も有る。宮城県や岩手県の被災者に比べて恵まれている方だと思う。

 原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じことで、偶偶、原発周辺に住んでたからこそ補償の対象になっているだけで、「我々は被害者で優遇されるのが当然だ」と言わんばかりに権利ばかりを主張するのは如何なものか。

 福島県の人口が震災後に約11万2000人減少したという。津波被害で転居を余儀なくされた人はこの内約5万9000人。減少した数には死者約1万6000人が含まれている。未だ約15万4000人が未だ避難を余儀なくされているというが、その中には放射線を殊更にビビって故郷を捨てて自主避難している人も多く含まれている。

 原発周辺住民の避難は分かるが、放射線が少ない地域に住んでいるのに県外に転居するのは、県内に留まってるより県外に逃亡した方が金銭的に補償されるのを知ってるからだろうではないのかと穿った見方になってしまう。

 3.11に向けて全国各地で反原発派らの「脱原発集会」が行われている。集会には福島県から避難した人も参加している。その中の福島市から避難した一人は、「私たちは忘れ去られるんじゃないかと不安で一杯」だと訴えていたという。

 福島市は避難区域ではない。こうした自主避難した人へも「災害救助法」により家賃や生活費が保障される。だが福島市、或いは県内に留まって、復旧・復興に努力している人への保障はゼロなのだ。これはどう見ても不条理でしかない。

 我が国は「法治国家」だという。だが、法律を知ってる人ばかりが優遇されて、法律も知らない、生真面目な人は放置され続ける「放置国家」と断じても好かろう。「脱原発集会」には双葉町の井戸川前町長も参加して、厚顔にも「今も狭い仮設住宅で多くの町民が苦しんでいる」と宣ったというが事実は違うだろう。

 被害者や弱者ぶるのは県民として実に恥ずかしいので止めて欲しいものだ。今、我々が成すべきことは、陛下の大御心を拠所に、一人一人がやれるべきことを少しずつ実行に移すことであり、それが復旧と復興へ繋がるものと信じている。

 反原発運動が盛り上がるのも結構だが、今日は心静かに、津波の犠牲となり亡くなられた多くの方々に哀悼の意を表すことこそ大事であろう。合掌。

cordial8317 at 08:35│Comments(0)

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