河野洋平が「紅の傭兵」と揶揄される所以日本には「愛国心」などという言葉はそぐはないのではないか

2013年02月17日

「どうか一つのちいさな命とひきかえに、とうはいごうを中止してください」


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 JR野崎駅で14日夕、大阪府大東市立の小学校5年生の男子児童が、自ら通う学校の統廃合の中止を求め、遺書を現場近くに残し電車に飛び込み自殺した。

 市教委によると「市立小学校統合実施計画」に基づき、男児が通う小学校は今年4月、別の二つの学校に統合され、今日17日が閉校式の予定だったという。

 男児は数日前から、「閉校式を止めることができないか」「学校がつぶされるのに僕たちの気持ちを誰も聞いてくれない」「別の学校に行くのは嫌だ」と話し、現場近くに残された遺書には「どうか一つのちいさな命とひきかえに、とうはいごうを中止してください」と記されていたという。

 自殺直前には、母親らの携帯電話に「今までありがとう。みんな大好きだよ」とメールがあったという。息子の思いに気付いてやれなかった母親の気持ちを思うと遣る瀬無いが、この男児は責任感が強い、自己犠牲の精神溢れるリーダー的な存在だったのではないだろうか。

 桜宮高校バスケットボール部の体罰問題が一方的な観点で騒ぎ立てられ、自殺を美化した様なマスコミの偏向報道や橋下の対応を見て、この男子児童も自分が自殺することで世の中が変わると思ってしまったのではないだろうか。

 マスコミは今回の事件に関して、拙いと思ったのか意図的にこの自殺問題には沈黙している様だが、抑々桜宮高校の体罰自殺問題は体罰の問題というより、自殺した生徒の精神的な部分の方が問題で、自殺という行為を問題視せず、体罰だけを悪と論じ、避難し続けた結果がこうした悲しい結果に繋がったのではなかろうか。

 マスコミや自称教育評論家らのキレイゴトにはうんざりするが、自殺という行為は短絡的であり、自殺こそ「弱い・不安定」な精神障害であり、或いは家庭内暴力や校内暴力といった間違った理性を持った子供達が大量に登場した原因を考え、正しい理性を育むには如何にするべきかを論じる必要があろう。

 度重なる自殺問題は「戦後教育」を見直す機会でもあると考える。戦後我々日本人が押し付けられた「欧米流」の理性に抜け落ちているのは「本能論」であり、人間と動物の優劣性を強調する余り、動物にも在る「本能」というものを下等なものとして否定しまったことに在る。

 仏教でも儒教でも「理性」を創るのに重要な役目を果たすものは「本能」であると説く。日本人としての心情や道徳的な意識を養う為にも「読み書き算盤」といった「知育」や「体育」も大事だが、より力を注ぐべきものは「徳育」なのだ。

 「徳育」教育は戦後教育の中で「忠君愛国的」だと否定されて来たが、「徳育」は正しい人間性を確立することが目的であり、日本の教育再生の為には「徳育教育」こそ急がねばならないと痛感する。

 体罰問題では鬼の首を取ったかの如く騒ぎ立て、桜宮高校を立て直すには「校風、体質を一旦ゼロにしないとダメ」との持論を垂れ流した橋下だが、元大阪府知事としてこの男子児童の自殺問題をどう捉えているのか御高説を伺いたいものだ。

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cordial8317 at 08:21│Comments(0)

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